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政治活動と政治的な活動、音楽を核とした場づくり仕事づくり-『パーティー51』上映後トーク:アサダワタル×HOPKEN杉本×Offshore山本

韓国ドキュメンタリー映画『パーティー51』上映&ツアー、第一本目に開催されたツアーでのトークセッションは、大阪HOPKENにてアサダワタル氏、HOPKEN店長杉本喜則氏、Offshore主宰山本佳奈子の3名で行なわれた。大阪を中心に、音楽に関わってきた同世代の3人でのトーク。社会と政治、音楽と「政治的な活動」、また、今後の表現者が目指すべき場のつくりかたについても考えてみた。
※映画の内容を含みます。これから映画を観られる予定でネタバレが気になるという方は、観賞後お読み下さい!

 

参考記事: 映画『パーティー51』上映後トーク:パク・ダハム×バムソム海賊団×ハ・ホンジン×チョン・ヨンテク監督


上写真:ハ・ホンジン ©51+ film

 



2015年9月29日(火)
<来日直前!>韓国音楽ドキュメンタリー『パーティー51』上映・トーク
会場:HOPKEN

 

“政治と音楽の狭間、あと、音楽で食うって言うけどその「音楽」ってどのへんまで言うの?っていう話”

 

山本:あらためて、『パーティー51』上映ツアーの企画制作をやっている、Offshoreの山本佳奈子です。

 

杉本:この店の店長やってます、HOPKENの杉本です。

アサダ:文筆と音楽をやってます、アサダワタルです。

山本:まず、韓国インディー音楽って日本ですごく人気があって、どうしてもこの映画を語るときに音楽自体の話になることが多い。でも、私がこの映画から読み取りたかった文脈って、インディペンデントなクリエイター達がどうやって表現活動しながら食っていくのか?とか、社会という観点で切り取りたかったんですよ。それでこの3人でこの映画をネタに話してみたかったのですが、杉本くんはHOPKENの店長であり、今はなくなった新世界フェスティバルゲートのBridgeというライブハウスでスタッフをやっていたんですよね?

 

※フェスティバルゲート:大阪通天閣のすぐそばにあった複合施設であり、ジェットコースターを含む遊園地や飲食店、映画館があった。ライブの空間「Bridge」は8Fにあり、他、cocoroom、remo等のアートNPOや団体が活動していたビル。第三セクターで運営されていたが、2007年に遊園地が休業、そして閉鎖。

 

杉本:いや、僕はやってないです。

 

アサダ:いきなり間違った情報を(笑)。

 

杉本:僕はよく遊びに行ってただけで、スタッフやってたのは、例えば梅田哲也さん、neco眠るの森さんとか。あと、同じ建物の下3Fにcocoroomっていうのがあって、そこもいろんな音楽やってる人が関わってましたよね。

 

アサダ:僕がまさにそのcocoroomに関わってて、10年前ぐらい。当時、Bridgeとcocoroomで出演者やスタッフの行き来がありましたね。他にも、3FのDANCE BOXではcontact gonzoの塚原君がいたり。

 

杉本:僕はBridgeで当時所属していたサークルで何回か企画をやらせてもらったりして、neco眠るの森さんに仲良くしてもらって。Bridgeが終わったタイミングで自分一人でイベント企画を始めて。地下一階というライブハウスの上にできたepokという場所で、森さんとgoatの日野くんと一緒にスタッフをしていたこともありました。

 

山本:なるほど。それで、私はBridgeがあった時代、二人とはまだ出会ってなかったんですが、大阪市内のライブハウスでブッキングの仕事してました。ではお二人に、いきなり映画の感想を聞いていいですか?どうでした?

 

杉本:ひとつは、ある時期のムーブメントを切り取ったドキュメンタリー映画として、 すごく真摯な、良い作品やなと思いました。あと物価が近いので、お金の話がリアルでしたね。ミュージシャンに対する日本との捉え方の違いも感じました。ざっくり言うとそんな感じです。

 

アサダ:面白かったです。トゥリバンがなくなってから、同じ映画なのに別の映画が始まった感じがして。そこから、あの建物があったときのことを忘れてしまう感じが不思議でした。続いて、別の場所の運動に関わっていって空回りして。でも音楽は認められていったり。別のストーリーが始まったので、パート1とパート2を見た感覚でしたね。それから、狭間みたいなものを感じましたね。政治と音楽の狭間、あと、音楽で食うって言うけどその「音楽」ってどのへんまで言うの?っていう話。自分もその時々で、やり方を考えてきたので、そういう話を映画に出てくる彼らと一緒にしてみたいな、と思いましたね。

 

山本:私がずっとアサダさんに個人的に言ってる、私がライブハウスの仕事辞めるきっかけの話があって。10年前、ライブハウスで働いててしんどかったとき、アサダさんのいろんな表現を混ぜたパフォーマンスを見て、なんか自分がアホらしくなったと言うか。いろんな表現の方法があるって知ったから、もうひとつのことやってないで、辞めよう、と。この話ずーっとアサダさんにしてますけど(笑)。

 

アサダ:表現の幅っていうか、僕は「それって表現で食ってる、っていうことになるんですか?」って言われることもやってると思うんですよ。僕も本を書いてますけど、本自体は小説じゃなくてノンフィクション。僕は本を作品やと思ってますけど、表現活動をしていくことと、社会で起こってること、自分なりの考えで有象無象を切り取っていってて。11月末には表現についての本を出す予定なんです。自分にとっては表現について直球で書くって言うことが、それまでできなかったから、ソロCDと一緒にちゃんと提起しようと思って。映画で「納得のいくお金のもらいかた」みたいな話をしてたと思うんですよ。こういうライブに呼ばれてお金もらうのは納得できるけど、こういうライブに呼ばれても……、みたいな。映画では印象的な言葉で言い表してたんですけど、パフォーマンスを売ると言うか……

 

山本:終盤でハ・ホンジンが言ってたことですね。(※日本語字幕では「音楽勝ち組」。イベントの主旨内容については一旦置き、お金がもらえるイベントに呼ばれるようになったということ。)

 

アサダ:そう。オファーが増えてきたら増えてきたで、断りたいものも出てくる。呼ばれたけど、この主旨で僕って、ぜったい理解してもらえてないな、っていうのも正直あるんですよ。行ったらお金はもらえても良い気分でライブできへんやろな、良い気分でしゃべられへんやろな、って、悩むんですよ。でも、矛盾してかもしれないですけど逆に問うと、映画の中の皆さんって、はっきりやりたいことあるんかな?って、思いました。僕はふにゃふにゃなんで、意外とないんですよ。呼ばれた現場で、違うことやってみたら、みんな喜んでくれて、自分も楽しかった。じゃあこれでええんや、みたいな。ええかげんな人間なんで(笑)。だから、「自分がこれをほんまにやりたいんか?」って突き詰めていったら、ぐらぐら底が揺らいでくるんちゃうかなと。目指す表現と仕事として成立させなあかん兼ね合いの中で「意外とこういう表現もアリかも」っていう表現が自分でも気付かないうちに開発されていくってことは、ひとつの希望の形としてひょっとしたらあるんじゃないかと。その辺、映画出てるみなさんとしゃべってみたいなと思いましたね。

 

山本:杉本くんは、ここHOPKENに関しては、どういうサバイバル術でやってるんですか?

 

杉本:いや、サバイバルできてないですよ(笑)。好きなことしかやってないから、良い感じに見えてるだけで。赤字ですが何とか続けてます。移転するまでは小さい規模でやってて、バイトして自分の生活費キープしてたらよかったんですけど、今は家族もできて、それで、こうやって下では飲食やってて。今からどうなるかわからないですよ。すぐ消えるかもしれへんし。

 

山本:こわ……。

 

杉本:大阪は人口多い。何かやりたい、って思ったときに、認めてもらえる人の数がある。ある程度棲み分けもできてるし、続けていけるぐらいの苦しさでやっていけてるかなと。大阪は誰も儲かってないですけど、ギリギリやれる規模。逆に言うと、ギリギリ続けられる規模で落ちついちゃうから、面白くなくなるかもしれない。あと、『パーティー51』観て思ったのは、敢えてそういう描き方なのかもしれないですけど、うまいこと全ジャンル集まってて、しかも各ジャンルごとに割とポリティカルな歴史のある音楽。それが一緒にやってるっていうのは、日本よりシーンが小さいからこそできることかもしれんし、ホンデっていうエリアで区切ったからそれができたのかなと。

 

山本:映画の中の解説をすると、まず、ハン・バッ=Yamagata Tweaksterは元から政治と社会にコミットしてて、歌詞も字幕にあったようにポリティカルなメッセージを言っていて。彼がある時、新聞を読んでトゥリバンの立てこもりを知って、トゥリバンに訪れたそうです。そこで、夫婦の話を聞いて、「ここにミュージシャンを集めていいですか?」という打診をして、ああいう展開になったそうです。確かに、多ジャンルが交わることってあまり大阪もないなあと思ってて。例えば映画の中で、ハ・ホンジン(ブルース)のリリースパーティーのときに、バムソム海賊団(グラインドコア)がちょっかいかけてる。

 

アサダ:マイク向けるシーン、あそこ良かったですね。

 

山本:ハ・ホンジンとバムソム海賊団は今も仲良くて、ダハムはノイズ音楽やってるけど映画に出てる音楽家みんなのリリースをやったことがあったりして。ジャンル越えた付き合いって、日本はそこまでないんちゃうかな?と。

 

アサダ:Yamagata Tweakterは政治に関心あってああいう行動したっていうのはわかるんですけど、他の音楽家は元からああいう活動してたのか、それとも活動しながら政治に目覚めていったのか、どうなんでしょうね。

 

山本:時代背景を説明すると、映画撮り始めたのが2009年ぐらい。その少し前、韓国はBSE問題で学生運動が起こってたんですね。なので、それぞれデモに参加したり、という経験はあったみたいです。パク・ダハムは仁川出身ですが、ソウルに住み始めてからデモに参加するようになったと言ってました。

 

 

Yamagata Tweakster ©51+ film

 

 

“社会の仕組みを少し変える、っていうことは政治的なんですけど、「政治活動」と、「政治的な活動」の分類が分かれてる意識が日本人にはある”

 

アサダ:ジャンルバラバラとはいえ、それなりに前衛的な音楽やってる人たちがこういう運動に関わっていくと。素人の乱の松本哉さんも出てましたが、高円寺とかは一部のミュージシャンにもデモ運動との繋がりとかがあったりするけど、韓国以上に日本はノンボリですよね。ああいう方向にいく音楽家を、同じ音楽家が遠巻きに白けて見る風潮があるじゃないですか。

 

山本:私は他のアジアも見てますけど、台湾はノンポリではないと思うんですよ。日本だけ政治と音楽が遠ざけられてる感じがする。かと言って、自分がすごく政治にコミットした活動をしようとは思わないんですよね。

 

杉本:今だと安保反対でデモに行ってるミュージシャン多いですけど、韓国の音楽家みたいに皮肉っぽかったとしても、ダイレクトに政治と音楽を繋げてるミュージシャンは少ないですね。

 

山本:最近年配のミュージシャンとかで「音楽を政治に使うな」って書いてる人もチラホラ見ましたね。

 

杉本:積極的に参加する人と、黙ってる人と、分かれましたよね。

 

山本:だから、「音楽を政治に使うな」って言う人からしたら、この映画って音楽をモロに政治に使ってしまってるパターンで嫌がられるんちゃうかな、と思って。

 

アサダ:でも、この映画では、「運動? いやいやそうじゃない!」って、出てる音楽家達がどっかで自分たち自身のことを笑ってる感じがするんです。上の世代の活動家のこととか、どストレートな活動やってる人たちのことを、ちょっと小馬鹿にしてる。それでいて、自分も運動やっちゃってるよね、なんなんだろうねこれ、っていう空気がこの映画に流れてるじゃないですか。それが映画として面白いところやなと思って。

 

山本:そう。この映画が、どストレートに政治やったとしたら、私は日本で上映担当したくなかったんですよね。

 

アサダ:でしょ。どっかで疑問持ちながら、でももう、やるかー!みたいな感じでやってる。その感じはすごい面白い。

 

杉本:途中でダハム君が、「やっぱり音楽の内容が大事」って言ってて。結局この映画って、「自分たちが音楽をやりやすい状況を作ることが、政治的な活動」っていうことになってる。日本の場合は、それが政治的な活動っていうことにはならない。

 

アサダ:そう、いわゆるジャンルとしての「政治」と、「政治的な活動」って、微妙に違うと思うんですよね。「政治的な活動」っていうのは、ほんと広い意味で。動かなあかん、っていうことが政治的な活動ってことですよね?

 

杉本:社会の仕組みを少し変える、っていうことは政治的なんですけど、「政治活動」と、「政治的な活動」の分類が分かれてる意識が日本人にはある。経済的な活動も、「政治的な活動」のはずなんですけど、「それは経済活動」ってなっちゃう。切り離せないはずなんですけど、表面的に政治であるほうを切り離して考えてしまう。だから例えば「自立音楽生産組合(JARIP)」と、大阪のレーベル「こんがりおんがく」を比べて見る。こんがりおんがくは自分たちがやりやすいように友達同士でやってて、状況を良くするためにも色々と動いてる。自立音楽生産組合も、余り変わらない意識でやってるような気がするけど、それが日本の視点で見ると「政治活動」をしてるように見える。こんがりおんがくはじめ日本のインディペンデントな音楽家が、映画のなかにあったようなことをやり方としてやってもいいはずやけど、日本ではそういう方向に行きにくい。その違いがあるなあと思いますね。韓国のあの活動を日本でやろう、ってなったとしたら、法律がどうとか経済がどうとか、お堅い話になってくる。例えば最近の話では、風営法を改正するとか。そういう明確な政治の目標があってダハム君達はやってたわけじゃなかっただろうし。そういう違いが面白い。

 

山本:映画の中の内容って、2012年初頭ぐらいまでの話で、編集にめちゃくちゃ時間がかかって、2014年にやっと韓国で上映、配給されてるんですよ。そのあいだに韓国も大きく状況が変わってるみたいで。例えば、あれだけバムソム海賊団「Uber-Oui」って曲で盛り上がってたけど、今はそんなに客入ってない。

 

アサダ:んーと……(笑)、さらにあれから人気が出た、とかいう話じゃなくて?

 

山本:そうじゃないらしいんですよ。パク・ダハムも言ってたのは、当時は自分でオーガナイズするイベントにお客さん良く入ってたけど、今はそうでもない、と。なので、あのムーブメント自体に引っぱられてきてたお客さんが多かったみたいなんですよね。音楽詳しくない韓国人でも、トゥリバンの話は知ってたりする。ソウル市内ではすごく有名だった話みたいで、それこそ「政治的に」そのムーブメントは成功したのかなと思うんですけど、ムーブメントが去っちゃうと、音楽自体を聴いてくれる人は減っちゃう。

 

杉本:それはしゃーないですよね。音楽が娯楽である以上は。娯楽って言いきっちゃうのはあかんかもしれんけど。個人的な体験で言うと、2004年辺りにいわゆる”関西ゼロ世代”が注目されていた時は、平日でもお客さんいっぱい入ってて、みんな何かを目撃したくて来てる、熱気みたいなものがあった。最近僕が行くようなライブでは、そういう状況はあまりない。本人たちの表現は変わってないけど、取り巻く状況は変わる。だから、しょうがない。

 

山本:そう、しょうがない。

 

アサダ:その辺は、どういうバランスがええなあと思ってるとかあります?

 

山本:うーん、わからないですね。わからないですけど、Offshoreでは、社会が絡んでる表現を紹介するようにしてて。社会と切り離すのは違うと思うんですよね。背景とか、経済状況とか、政治とかいろんなことがあってその音楽が生まれてる、ってはっきり言い切ったらあかんのですけど、ひとつの要素になってると思ってて。切り離したらあかんと思ってるんです。

 

アサダ:それはまったく同感です。純粋に音楽だけが切り離されてるっていうのは、語弊はあるかもしれないけど幻想やと思ってます。僕自身は。やっぱりその背景はあって、純度高く音楽だけ、っていうのは有り得ないと思ってる。

 

バムソム海賊団 ©51+ film

 

 

“映画の中のムーブメントって、消費者も生産者も分け隔てなく入ってた気がするんですよね。そこを評価してる人たちがいた事実が面白い”

 

山本:そう考えるとアサダさんは個人と社会と表現と普段から絡めまくってますよね。

 

アサダ:そうですか?(笑)僕、映画観ててすごい気になったことがあったんですけど、「音楽生産者」と「音楽消費者」っていう言い方をしてた。事実としてはそうなんだけど、僕は、「次に行かれへんかな?」と思うんです。そこに一番興味があって。基本的にミュージシャンって、どれだけDIYって言っても、既存の仕組みに乗っかってるんですよ。生産者と消費者がいて、生産してCD作って流通させて。それがインディペンデントであれインディペンデントでなかろうが。だから、さっき言ってた、ムーブメント以降、音楽だけになったときにお客さん入らんくなったっていう話。だとすれば、ムーブメントの質っていうのをもっと面白くして、音楽含めてもっとよくわからんことを作って、そこを評価してもらって、それを場合によってはお金に換えていく、っていう仕組みがあってもええんかな、って。例えばプラットフォームをつくる、音楽使って面白いことをやる、とか、音楽で場をつくる。映画の中のムーブメントって、消費者も生産者も分け隔てなく入ってた気がするんですよね。そこを評価してる人たちがいた事実が面白い。でも、CD売るとか、ライブで稼ぐ、っていう方向に戻った。僕はその発想の転換をしたい。生産とか消費っていうことよりも、一緒に音楽をつくるとか、今までにある音楽を使って一緒に遊ぶ、っていうようなことを仕事にしてる立場としては。本書きます、CD出します、ライブします、だけじゃなくて、もっと面白いことできるんちゃうかなと思ってます。

 

山本:そうなると、グラインドコアをやってるバムソム海賊団。彼らがこれから「生産者」「消費者」じゃない仕組みを作るとしたら、どうやっていこう、って悩みません?例えば、バムソム海賊団が、永続的にお金を得るには?音楽によって。

 

アサダ:まあ本人がそれをやろうと思うかどうかわからないですけど、「そんなん言うても……」って人もいるし、意見分かれると思うんです。映画の中では「音楽家は音楽でしか」っていうような、音楽家がいかにも言いそうなオーソドックスなメッセージも多かった。そういうのも気になってたんですけど。僕は「そうかな?」って思って。

 

杉本:でも、いろんなチャレンジ今まであって、結果失敗してきてる例も多いんじゃないかな?っていうのも。わからないですけどね……。バムソム海賊団は、ライブハウスやるしかないんじゃないですか?

 

山本:え、あの小説家のトゥリバンの旦那さんと同じ考えに……(笑)

 

杉本:もしくは、コミューン作るか。

 

アサダ:音楽で食うって言うところを拡大しすぎやと思うんですよ。僕はSJQっていうバンドをやってて、メンバーに米子匡司ってミュージシャンがいて。彼はFLOATっていうスペースを運営してるんですよ。彼はFLOATでは食えてないんですけど、そこで出来た縁から、同じ此花界隈にあるPORTっていうスペースの管理人をやることになったんですよね。僕はそれ、結構面白いと思ってて。昔コミュニケーション能力むちゃくちゃ低い奴やったのに、いつの間にかコミュニケーション能力むちゃくちゃ高いキャラになって。そんな奴じゃなかったやろ、って思うんですよ(笑)。でも彼の場合、音楽が核にある。そこは本人も話してて。場が生まれて、その人の周りにいろんな人の縁が生まれて、同じ此花界隈にFLOATもPORTもあって、音楽ライブもすれば、PORTは住居もあって食堂もやってるし、フリーペーパーも出すし、ごちゃごちゃといろんなことをやるようになったんですよね。同時に彼はもちろんライブもする。ぐるぐる回って色んなタイプの仕事が彼の音楽にまつわる考え方にも影響与えていってると思うんですよ。だから、「ここ」で食ってる、って言う話ではなくて、そのぐるぐる回ってる結果、「生きてるんやったらええやん!」って、僕は思うんです。じゃあ米子くんは音楽で食ってるんか?って聞かれるとはっきりと答えられないです。でもぐるぐる仕事が循環して、食ってて、潤滑油としてその真ん中に音楽があるなら、「音楽で食ってる」って言ってええんちゃうか、って思うんです。

 

山本:確かに。今思い出したのが、インドネシアのマージナル。彼ら音楽だけで食えてるかはわからないですけど、現地の恵まれない子どもたちと一緒に音楽やったりしてて。彼らもパンク音楽やけど、子供に社会を教える手段として音楽を教えてる。そう考えると、バムソム海賊団も、今後何か良い出会いがあれば、音楽を軸にして廻り廻って食えるのか?と。

 

杉本:ひとつ日本でそういうモデルがあるとすれば、Turtle Islandがやってる橋の下音楽祭かな。チャージフリーやけど数千人が集まって、会場でそれぞれ市ひらいて、ソーラーパネルで電気起こして。Turtle Islandは、ハード コアとパンクとヒッピー、クラブカルチャーでそういうコミューン作ってきた人たちの良い部分を 持ってますよね。果たしてメンバーが音楽で食えてるかはわからないしバイトしてるかもしれないですけど、でもバイトって言っても自分たちでつくった店とか仕事でバイトするっていうことができるかもしれへんし。

 

アサダ:それもいいですね。まったく関係ないバイトやったらキツいけど、自分たちでつくった場でバイトして、そこでやりたいことも混ぜていって、全体をつくる、っていう。

 

杉本:みんなそうやって生きていけたらいいなと思うんですけどね。さっきアサダさんも言ってた、韓国のミュージシャンと、音楽消費者が分かれてるっていう話。でも分かれてるのに共存してる。韓国の本人たちは分かれてると思ってるかもしれないけど、日本から見ると共存してるように見えるって言うのが不思議でしたね。