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北京にて -生活と音楽-

 ウェブサイトで日程と内容が告知され、それを見て、行きたいと思った観客は申し込みのメールをする。申し込みをした者だけが、北京市内に位置する会場の住所を知らされ、その住所へ当日出向く。会場はとあるマンション群に位置するプライベート空間のため、公表されない。
 日曜日の昼下がり。日没の頃には終了する。
 参加者には果物やお菓子の持参が推奨され、演奏会が始まる前にはみなでくつろぎお菓子や果物を食べ、茶を飲む。演奏会が終わると、また再びみなで気楽に話しながら茶を飲む。
 夜7時ぐらいになると腹も空いてくるので、演奏家と観客の隔たりなく、希望者は近所のレストランへ夕食に出かけ食事を共にし、そして、解散となる。
 これが先日7月8日、日曜日に北京市内で開催された、颜峻(Yan Jun)主催のコンサート、密集音乐会(Miji Concert)の流れである。

 

 遡って前々日の7月6日金曜日、北京市东四駅から徒歩約10分、美术馆东街に位置するfRUITY SPACEでは、燥眠夜(Zoomin’ Night)主宰の朱文博(Zhu Wenbo)らが出演する小さなコンサートが開催された。
 fRUITY SPACEは、音楽家me:moが経営するスペースであり、音楽イベントから朗読会、トークイベント、演劇まで、幅広い分野のイベントが開催される場所。これぞ、まさにオルタナティブスペースと言えるだろう。
 物販コーナーでは、中国各地のzinesterによるzineや、流通されていない中国のミュージシャンたちの音源を買うこともできる。
 この夜の小さなコンサートは、夜9時半から始まり、約1時間程度で終了。
 朱文博(Zhu Wenbo)、赵丛(Zhao Cong)、李松(Li Song)、鬼大爷の4名による即興演奏ワンセットのみのコンサートだった。

 

 今回の私の北京滞在は7月6日からの4日間のみだった。もし、期限なしで滞在できたのであれば、7月21日に愚公移山にて開催されたChui Wanと脏手指(Dirty Fingers)のライブも見たかったし、7月13日に北京DDCにて行なわれたJiafengのライブも見たかった。8月1日に同じく北京DDCにて開催される、李剑鸿(Li JianHong)と液体宮殿によるライブも、非常に興味深いものである。

 

 約2年半ぶりに訪れた北京。道教の寺を改装してつくられたZajiaはとうの昔になくなったし(鼓楼周辺は再開発がかなり進んだらしいが、今回の北京滞在中には訪れる機会がなかった)、音楽家の王子衡が経営していたバーSOSは今年の3月末に閉店した。もっと遡るとすれば、北京のライブハウスD-22はもう何年前に閉店したか忘れてしまったし、その後同じオーナーによって立ち上げられたライブハウス小萍(xp)も、閉店してしばらく経つ。

 

 そういえば、密集音乐会(Miji Concert)も2017年までは北京の时差空间(Meridian Space)で開催されていたが、この会場も2017年末で終了した。
 Zajiaは、地域の再開発によって閉店することになったが、上の段落で述べたSOSは経営者であった王子衡が自身の音楽活動に時間が割けなくなってしまっていることに気づき閉店を決断。北京での閉店にまつわるニュースのすべてが中国当局に端を発するわけではないことは、念のため伝えておきたい。

 

 今と昔を比べて、懐古にふけるようなつもりはなかったのだが、北京の音楽家である友人たちと話すと、ついつい「北京も変わったね、時間が経ったね」と口にしてしまった。
 いや、私自身もこの数年で沖縄にいたり福建に留学していたり、その過程で、自分を変えるような出来事も起こった。このOffshoreにおいても、かつての”ウェブサイトっぽい”インタビューをとることには辟易してしまって、できるだけSNSから距離を離したウェブサイト運営を心がけている。


 私が北京の彼らに「変わったね」と放った言葉の奥には、「それでも、みんながそれぞれ変わりながら続けている」ことへの賞賛があったことは確かである。環境や時の変化に対応しながら柔軟に手を変え品を変え、音楽や創作することを続けている北京の音楽家たちの作品や活動を見ると、背筋が伸びる。

 また、同じことを同じ方法でやり続けている人は日本では賞賛されるけれども、別に、そうでなくても、いいんだと思える。

 

 冒頭に書いた密集音乐会、並びにfRUITY SPACEでのイベントに出演していた朱文博とは、2015年のMultiple Tap×密集音乐会で初めて会話を交わしたのだが、そのもっと前に、ライブハウス小萍で彼の演奏を見ていた。


 彼が主宰する燥眠夜(Zoomin’ Night)は、イベントシリーズでありレーベルである。当時、ライブハウスxpで毎週水曜に開催していたイベントシリーズを、たまたま北京滞在中に見に行ったことがある。
 当時はあくまでも楽器を用いた即興演奏にこだわっていたようだったが、彼は最近”作曲”にも熱心である。括弧書きにしたのは、それが一般的な作曲とはおそらくイメージが違うからである。

 

 颜峻が主宰するレーベルSUBJAMのブログには、朱文博に話を聞いた短いインタビューも掲載されている。その問答は非常に正直にやり取りされており、”何か”の言葉、定義を、もう一度見直してみようという試みがうかがえる。
 颜峻にせよ朱文博にせよ、彼らの演奏には、観客が試されるような節がある。「いかに音楽の定義を定義しないか」「音楽の可能性をいかに広げるか」。観客は、音楽家のいいなりではないわけだし、観客が自由に音楽を解釈できるのであるとすれば、観客にも音楽について考えるという責任がもたらされる。私たちは、彼らの音に何を想い考えるのか。そういったことに、常に意識を向けられる。
 が、それはたぶん、研究者や学者が眉間にしわを寄せて考える「現代社会中国はこうこう、こうであるから、きっと、若者たちの間でこうこう、こういう表現が生まれてくるのだろう」というような生真面目なクソ真面目な話ではなくて、颜峻も、朱文博も、根っからナゾナゾやトリッキーな出来事やシュールな笑いが好きで、「みんながこう言いそう(思いそう)だからこうやってやろう」と、多少の天邪鬼とイタズラ心で音楽という定義されてしまった表現を引っ掻き回している、という捉え方のほうが正しいんじゃないかとも思う。

 

 実は今回の密集音乐会では、私は演奏を担当した。朱文博の作曲作品で、『灯的音乐 第二号(Music for light #2)』と名付けられている。朱文博と赵丛、そして私の3名で演奏した。
 当日私に渡された楽譜は、平方根により並んだ数字で、時間がその数字によって支配される。音を奏でるのではなく、電灯のスイッチをオン・オフするだけなのだが、奏者としては約30分間延々と数を数えることでかなりの疲労感がある。疲労のみではなく、時間が経つほどにうんざりしてくる。(演奏後、朱文博と赵丛には話したが、昔子どもの頃に風呂の中で100まで数えさせられた経験を思い出し嫌になった。)
 音を発するのは電灯のスイッチ音のみで、ときたま、外の広場で遊ぶ子どもの声や、電動バイクの盗難防止アラームがなる音がうっすらと聞こえたり、また、観客の体内の内臓が動く音が露骨に聞こえたりもする。

 

 この翌々日だったか、朱文博と赵丛、そして李松と夕食に出かけた際に、彼らが真面目な顔で、「僕らの演奏、どうだった?」と聞いてきた。
 彼らの真面目な顔に少し驚きつつ、私は回答をした。
 「これまで、留学先では昼も夜も周辺でアメリカのポップスを歌い踊る18歳ぐらいの若い留学生たちの出す騒音に苦しんでいたので、ここまで、極限まで静かな空間と、コントロールされた雑音と静音の世界に浸ったことが実に久しぶりだったので、なんともうれしかった」と。
 彼らは、私の回答に拍子抜けしたらしく「なんだそれ」という感じで笑っていたが、それを超える答えは今も見つかっていない。こういった、実験的でフレーズもリズムもない音楽の場合、私はなるべく価値判断基準を取っ払って聴くようにしていて、自分のものさしが安定してしまうと、こういった音楽を楽しむことができなくなってしまうと思っている。だから、良いも悪いもそもそもないわけだし、ふさわしい形容詞が見つからなかった。好きか、嫌いか、は判断できるが、そのどちらかで言うとなると好きな音楽会であった。楽しめたこと、演奏を聴くという行為を贅沢に味わえたことに対して、うれしくなったということでもあった。

 

 実験的な音楽について、中国という環境は静かで雑音が少ない。この雑音とは、実際の音の意味ではない。巨大化した中国の音楽レーベルは、このようなお金にならない実験的な音楽にほとんど目を向けないし、日本のように音楽を情報発信するメディアがあまりない。日本も、このような実験的な音楽については音楽メディアに取り上げられることが少ないことは確かだが、それでも、中国と比べると、ちょっと違う。音楽情報発信を専門とするメディアがあまりないことが原因か?豆瓣もQQ音乐も虾米も、音楽メディアと呼べる媒体は、そもそも自社のストリーミング機能を有している。日本のように、音楽情報のみを記事化して発信して音楽ファンの世論を引っ張るような中国の会社が思いあたらない。

 

 北京のこの実験的な音楽の情報をつかむ方法があるとすれば、それは会場や、また、SUBJAMや朱文博によって自ら記録された記事やインタビューの類である。さらには、SUBJAMではほとんどの密集音乐会での記録をアーカイブして、ネット上で閲覧できるようにしている。

 

 淡々と積まれていく動画、音、文字情報は、まったくドラマチックではないし、アイドル音楽家をつくりあげることはできないが、彼ら音楽家がこの時代に試していたことの軌跡になる。また、平坦なアーカイブは、若い音楽家も経歴の長い音楽家も同列に並べる。

 

 個人的には非常に魅力を感じる中国の実験的な音楽において、ここ数年でもっとも素晴らしいと断言できる音源が、昨年発表されている。燥眠夜から発売され、朱文博と颜峻の監修によって制作されたカセットテープ『THERE IS NO MUSIC FROM CHINA』である。
 これはオムニバス作品で、参加した中国の各音楽家たちのプロフィールをあれこれ確認せず事前情報なしに聴いたとしてもバラエティに富んだ、中国の定義のない音楽たちが収録されている。また、このライナーノーツが非常に豊かで、朱文博と颜峻が、参加音楽家とやりとりしたメールを読むことができる。

 

 密集音乐会には、こういった音楽を聴いてみたいと思った人たちが颜峻のウェブサイトを通して申し込みをして、彼らの音にじっくりと耳を傾ける。空間も、プライベートな空間であるからこその柔和な雰囲気が出て、観客と音楽家の気楽な会話が日曜の昼下がりにぴったりとはまる。観客の中には、初めてやって来た、まったく音楽家たちと知人関係にない人もいれば、毎回来ている常連客もいた。寝てしまった客もいた。それぞれが、何かを考え思いながら、密集音乐会を聴いたのだろうか。

 

 その後、私は北京から大阪に発った。大阪では、此花区のFIGYAというスペースでゆっくり過ごした。FIGYAはアーティストのmizutamaや、中田粥が運営する空間である。北京の密集音乐会も、大阪のFIGYAも、生活が近い空間だった。

 

 昔、こういった、先鋭的で実験的な音楽というものは、大都会、即ち日本の場合は東京ぐらいでしか成立しないと思っていた。日常や生活感という言葉とは遠ければ遠いほど成立すると思っていた。けれども、ここ数年の拠点沖縄でも、また訪れるアジア各地域でも、都会だからどうこうということとか田舎だからどうこうということはなくて、そのショウがいかに最先端で前衛であるかなんていうことよりも、日常の暮らしとかけ離れない空間でゆったりと楽しむノイズだとか即興音楽のほうが楽しくなってしまった。年齢のせい、と言われれば、ああそうですか、と返すほかないのだけれど、これは年齢を重ねたことが理由ではない実感があって、それは、遠く手の届かないところに離れてしまった音楽を自分の傍に取り戻す行為、のようなものなのではないかと思っている。

 

 密集音乐节のあと、夕食に出かけようと皆でマンションの外に出る。中国のマンションにはだいたい日本の団地のようにマンションとマンションのあいだに子どものための公園が設置されていたりして、子どもが元気良く叫び走る。彼ら彼女らの祖父母、両親などは子どものそばで世間話をする。

 

 密集音乐节を終えて夕食に向かう十数人の私たち大人は、楽器を持っていたり大荷物を持っていたりして、子どもや家族連れのなかを歩くと結構目立つ。しかしどちらも一般的な休日を過ごしたということで、週末の余暇を楽しんでいるという表情は、家族連れと、私たちと、何も変わりがなかったと思う。

 


大部分は2018年7月22日に執筆。

8月22日に加筆、修正して公開しました。

写真は、北京で購入した乾燥龍眼(桂圆干)。不眠に効果がある。