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中国語圏の音楽レビュー第1回:『THERE IS NO MUSIC FROM CHINA』を読む

燥眠夜 Zoomin' Night 『THERE IS NO MUSIC FROM CHINA』

 Covid-19の影響により海外に渡れなくなった。直接現地で音楽家やアーティストと出会い会話し食事をし、現地で演奏・パフォーマンスを見ることができなくなった。直接足を運び直接会って、表情やその場の状況、環境を通して考えるということを得意としていたのでもどかしい。しかし、自宅のCD棚やカセットテープ、現地から持ち帰ったり送ってもらったミニコミやzineが目に入る。そういえばこれらを私は聴き尽くし読み尽くしただろうか。(そしてPCの中には、bandcampでデジタル音源を購入し、まだ2、3度しか聴いていない音源もある。)

 

 直接取材に行けないことをぼやく前に、自宅の棚とPCに眠る作品群の整理をすることにした。主に音楽作品を紹介していくが、CDやカセット、デジタルリリース、または音楽にまつわる冊子や本など、メディア自体にはこだわらず選定し、現代の中国語圏における音楽文化を読解する材料を提供できるよう努めたい。

 


第1回

作品名:『THERE IS NO MUSIC FROM CHINA』

レーベル:燥眠夜 Zoomin’ Night / End of the Alphabet Records

アーティスト:李思/心宇/阿科/照园/卖卖/峻/孙伟/姚清妹/敏杰/赵丛/Torturing Nurse/朱文博/李松/高嘉丰(収録順)

2017年6月30日リリース

 

 北京を拠点とし、実験的な音楽や即興演奏、非楽器による演奏等の小さなイベントを開催してきたレーベル燥眠夜(英語名:Zoomin’ Night)と、ニュージーランドのレーベルEnd of the Alphabet Recordsが共同でリリースした作品である。参加アーティストの選定は、燥眠夜のオーナーであり音楽家でもある朱文博(Zhu Wenbo)と峻(Yan Jun)が行った。(*1) アルバムのマスタリングはノルウェー在住でアジアの多くのノイズ・ミュージシャンや音楽家と協働してきたLasse Marhaugである。カセットテープ版は早くに売り切れ、私はbandcampにて販売されたデジタル版のみを購入した。現在でもデジタル版は試聴および購入ができる。

燥眠夜のbandcamp

 

End of the Alphabet Recordsのbandcamp 

 

 

ライナーノーツはアーティストとのメール対話

 

 このアルバムは、制作をディレクションした朱文博と峻が各アーティストとメールで対話した履歴が、そのまま各曲のライナーノーツとなっている。bandcamp版でも各曲のリンクから読むことができ、また峻のウェブサイト上にはPDFでまとめられている。

英語版PDF: http://www.yanjun.org/wp-content/uploads/there-is-no-music-from-China-EN.pdf

中国語版PDF: http://www.yanjun.org/wp-content/uploads/there-is-no-music-from-China-CN.pdf

 

 ライナーノーツ冒頭の説明にて、朱文博と峻は、アーティストたちとのメールのやり取りを英語で行うことにしたと言う。それは、朱文博としては「少し中国を忘れてみる」ために、峻としては「英語でメールするという思いつきはジョークでもあり、また、翻訳費の節約と、互いに対話しづらい方法をあえてやってみる」ためということだった。

 

 音楽には、ライナーノーツなど読まずに音だけを聴覚から楽しむという方法もあるだろう。事実、このアルバムはノイズに偏ったりフィールドレコーディングに偏ったりすることなく、各アーティストの手法が異なっており、テキスト情報なしに聴いていても飽きない。しかし挑戦的なタイトルと、メール対話がそのままライナーノーツになっているという要因から、やはりテキストもこのアルバムの一部だと言える。いくつかの収録作品のライナーノーツに書かれたテキストを紹介しながら、アルバム全体の背景に見える今の中国を探っていきたい。

 

燥眠夜 Zoomin’ Night 『THERE IS NO MUSIC FROM CHINA』

 

オーディエンスからの批評、作家の作品への責任について

 

 さっそく1トラック目からメールによる対話が紛糾する。1トラック目は、Carsick CarsやSnaplineなどのロックバンドとしての活動をしながらも、即興音楽や実験的な音楽シーンでも活動している李思(Li Weisi)による作品で、トラックタイトルは『Indication』(指示)と表示されている。しかし、メール対話を読んでいくと、もともとこのトラック名にはハサミを意味する「Scissors」という単語が含まれていたものと見える。そしてこのトラックは0秒であり、再生しても何も聴くことができず2トラック目に移る。

 

 メール対話にて朱文博と峻はまず打口(*2)との可能性を指摘するが、李思は「そこには思いもよらなかった」と否定する。非音楽家である董星(Xing Dong)(*3)もこの対話に招待されている。董星は、ハサミであることの必然性(どうしてカミソリやのこぎりではないのか)を疑い、また、「ハサミで切る指示」をリスナーに与えリスナーが実際に行動に移した場合のナチズムのような関係性を憂慮する。

 

 当の作家である李思は、このトラックについてこう説明する。「ちょうどこの『THERE IS NO MUSIC FROM CHINA』というアルバムを作ると聞いた時、そこにハサミがあったので、このトリックのようなことを思いついた」そして、「またトリックを思いついたのだけれど、このトラックをこの対話メンバーで投票して決めるのはどうだろう。1つは、すでにテープがカットされていてそれをリスナーは修復しなければ聴けないプラン。2つ目は、当初のこのトラックのまま。3つ目は、5分間の沈黙をこのトラックとするプラン。」

 

 董星はこの投票という手法に反対する。「作家は自身の作品に責任を持つべきであり、自分で作品を決定するべきだ」ときっぱり否定し、また、このアルバム全体のコンセプトにも疑問を投げる。「英語でディスカッションすることの意味を最初に立ち返って考えて欲しい。”中国を忘れる”方法は英語を用いる他にもあるのではないだろうか?また、”中国を忘れる”とは、”意図がないことへの言い訳”では?またその言い訳を取りつくろうような行動がまさに課題に向き合うときの当局のようだ」と。

 

 ロックやポピュラー音楽の系譜から誕生したこのような実験的な音楽シーンにおいては、かなり美術や芸術と距離を近づけながらも、歴史からの参照、コンテクストの説明を求められる場面は少ない。作家は言い訳に逃れることなく自身の作品について意味を立てておくべきだという董星の主張は理解できる。しかし、音楽と名乗り続けるからこそ、快楽や思いつき、李思の言うトリック等に引っ張られてもいいのではないか。「言葉にできない」という音楽シーン全体におけるエクスキューズはどこまで通用し許されるのか。考えさせられる対話である。

 

 

中国とは何か?

 

 4トラック目と5トラック目は、それぞれ上海を拠点に活動する音楽家による作品である。照园(Jun-Y Ciao)はキュレーターやオーガナイザーとしても活動している。彼は4トラック目に、上海の自宅で録音した虫の声とのセッションをこのアルバムに提供した。そして、ライナーノーツは彼がカナダに滞在しているあいだにやり取りされたもので、同じく中国を離れベルリンで滞在制作していた峻との対話が収録されている。その対話の中で照园は、特に脈略なく外から見た中国について述べる。

 

「今中国のアーティストや音楽家は困難な状況に立っている。でも一部の人は、中国には活力を得るための大きなエネルギーがあると言う。中国にいると困惑するけれど、一方で目立つことだってできる。」

 

 2008年ごろまで、ノイズ・ロックバンドMuscle Snogのメンバーだった卖卖(*4)も同じく上海在住で、現在一人で活動している。彼は『THERE IS NO MUSIC FROM CHINA』というタイトルについて「意味をよく理解していない。まずは”音楽とは何か?””中国とは何か?””中国音楽とは何か?””中国の音楽家はどんな音楽を演奏しているべきなのか”といった問いを考えなければならない。自分のギターソロは中国らしさがくっきり表れたものではないし、かといって、中国ではないというわけではなく、ただ、自分の演奏だ。これは、中国からやってきた音楽ではないし、その音楽の中に中国はない。自分にとってはこういう意味だ。」と述べる。

 

 

過去とリンクしない革命歌『L’Internationalel』(インターナショナル)

 

 音楽家ではなくアーティストであり1982年生まれの姚清妹(Yao Qingmei)はパリ在住で、『L’Internationalel』(インターナショナル)を自身で歌った録音を提供した。彼女はモナコにて、車の中から拡声器を使って歌い、途中で警察に止められる。

 

 『L’Internationalel』はフランスで生まれた労働歌であり革命歌である。労働者による革命政権パリ・コミューンの鎮圧後、革命政権に参加したポティエにより歌詞が書かれた。万国の労働歌として多国語に翻訳され、ソビエト連邦では1944年まで国歌として用いられた。(*5) 中国での『L’Internationalel』は『国際歌』という中国語タイトルおよび中国語歌詞がつけられている。1964年には舞台芸術『東方紅』の中でも採用され、文化大革命時代の中国では多くの場面で歌われた。

 

 その後、文革が終わり開放期に入り、中国で民主政治を求める学生たちによる大きな運動が巻き起こったのが1980年代後半である。1989年、天安門に集まっていた学生たちの間でも『国際歌』は多く合唱されたという。また、唐朝乐队(英語バンド名:Tang Dynasty)が1991年に中国初のヘヴィメタルアルバム『梦回唐朝』(香港滚石唱片, 1991)を発売し、このアルバムの中に同曲のヘヴィロックバージョンが収録された(*6)。唐朝乐队イコール『国際歌』とも言えるほど、カヴァー曲でありながら彼らを代表している曲でもある。

 

 8トラック目の作品を提供した1980年代生まれの姚清妹に、峻はこの歌に関する知識を質問している。「唐朝乐队の『国際歌』を聴いたことがある?1989年についての印象はある?」答える姚清妹は、1989年のことは少しYouTubeで見たぐらいで、唐朝乐队の『国歌』については聴いたことはある、と特段の言及はしない。また峻は、Susan Philipszが同曲を歌った録音を公共空間に置いたスピーカーで流した作品《インターナショナル》(*7)との関連も指摘するが、それについては知らないとのことで、たまたまの相似だったようである。そして、「私はこの歌詞がとても好きで、それは私たちが受けてきた共産主義教育と関係があるのかもしれない。フランスの人はデモ行進の時にこの歌を歌うんです」と答える。

 

 世代間ギャップと(※峻は70年代生まれである)、居住地域の違いから見られる政治観のギャップを滲ませるメール対話である。

 

 

懐郷、そして中国での成功

 

 アルバムの最終トラックは高嘉丰による『Intro』と名付けられた作品だ。Introと名付けられているのに最後に収録されている。メール対話は2通分、高嘉丰が書いたもののみが掲載されている。彼は出身地上海からニューヨークへ引っ越した後、ストックホルムElektronmusikstudion EMSにてcomposer-in-residencyとして滞在し、そしてヨーロッパツアーを敢行してから中国に帰る予定を立てていたようである。

 

 ヨーロッパツアー中に書かれた第1通目では、「早く中国に帰りたい」「今ヨーロッパツアーが残り半分のところまできたけれど、最後まで自分の気力が持つかわからない」と漏らしている。第2通目は上海に戻った後に書かれたもので、抜群の明るさで新しいバンドを2つ始めたことを報告している。

 

 高嘉丰とは非常に多彩なアーティストであり、この作品より以前はノイズ・ミュージックや即興演奏を行い、また、MIDIコントローラーの開発やコマーシャル音楽の作曲も行ってきた。パフォーマンスではスタンダップコメディの要素も大いに取りいれている(*8)。昨今の活動では、VaporWaveを踏襲しながら、パフォーマンスのみならずSNSや動画配信すべてを高嘉丰のエンターテイメントとして発信し、日本や韓国のサブカルチャー、ポピュラー文化も取り込んでいる。現在微博にて約3万フォロワーをもつ高嘉丰が、サブカルチャーのスターとして若者を魅了していくステップに入るまでの過渡期が、そのまま映し出されたような作品がこの最終トラックである。

 

 このトラックの最後には、中国語で『中国没有音』(中国に音楽はない)と読み上げられる。これに関して峻は「高嘉丰による独自の訳である。THERE IS NO MUSIC FROM CHINAとはかけ言葉で、”中国に音楽はない”という意味にもなるだろうし、”中国にあるのは非音楽だ”という意味にもなるだろう」と記述している。

 

 

過去の中国語圏オムニバスとの比較

 

 ノイズや即興演奏、サウンドアートに近い表現や実験的な音楽など、この種の音楽において有名な中国語圏オムニバスはいくつかある。その代表的な音源が、ベルギーのSub Rosaレーベルからリリースされた『An Anthology Of Chinese Experimental Music 1992-2008』だろう。

 

An Anthology Of Chinese Experimental Music 1992-2008

http://www.discogs.com/ja/Various-An-Anthology-Of-Chinese-Experimental-Music-1992-2008/release/1886573

 

 アルバムのキュレーションは香港の音楽家Dickson Deeが担当し、Dickson Deeが主宰するレーベルNoise AsiaとSub Rosaによる共同プロデュースで作られた。4CDというボリュームで、中国に限らず、香港、台湾、シンガポール、マレーシアなど、中国語圏の多くの街から音楽家が参加している。中には2つのブックレットが入っている。その一つは、2013年暮れに逝去するまで長年アジアのノイズ音楽家や実験音楽家たちと交流しそれらの音楽を世界に紹介し続けたZbigniew Karkowskiと、峻により、共同で書かれた中国実験音楽シーンの歴史と概要である(*9)。主には打口や海賊版での海外音楽の受容や2000年代に入ってからのレーベルやライブハウス、クラブ等の創立についておおまかに書かれている。最後には、これらの中国語圏の音楽全体についての批評も語られる。批評については、おそらくZbigniew Karkowskiによって書かれたものだろう。「中国では、芸術的な伝統が失われた文革の時代があった。そこから30年が経ち、彼らは恐れず開放的にユニークな作品を生み出しているが、まだ真のクリエイションには達していない」と。(*10)

 

 このオムニバスに関しては文革を経験していない土地で育った他の中国語圏のアーティストも多く含まれており、彼ら全てを文革と関連づけるのは少し乱暴だと感じること。また、真のクリエイションがどのようなプロセスで何を達成するのかは、クラシック音楽ではなくこの種の音楽だからこそ、各々の自由判断に委ねられており、他からの指標があるべきではない。故Zbigniew Karkowski氏が行ってきた偉大で膨大な仕事に尊敬し感謝しているが、この2点については、まず反論させていただいたうえで先に進みたい。

 

 『An Anthology Of Chinese Experimental Music 1992-2008』は、CD4枚とも音楽アルバムとしてバラエティに富んでおり、聴き応えは十分である。ただ、やはり収録された音楽家個々の表情や考えは見えてこず、アルバム作品よりもコレクションとしての価値に重きを置かれているように感じる。

 

 一方で『THERE IS NO MUSIC FROM CHINA』は、現在中国で活動する音楽家たちが自分たちで編んだアルバムである。中文と英文バイリンガルで掲載されている各ライナーノーツを読むことで、その作品の意図やその音楽家の人物像も見えてくる。もし今、Zbigniew Karkowskiが存命でこの作品を聴き、この作品を読めば、今の中国音楽に対して、どのような評価を下すだろうか。There is no music from Chinaというタイトルについてはどのような反応をするだろうか。

 

 最後に、このアルバムの後の影響についても言及しておきたい。これは2017年6月にリリースされたアルバムだが、その後、朱文博が関わる作品には相当量のテキストが付随していることが多い。例えば、『地球上的30分』(30 minites on earth)は、朱文博が企画したアルバム作品で、複数の音楽家に屋外で30分ずつ録音をしてもらい、それらをミックスダウンした作品である。これには、副読本として『』(音楽を読む)という本が並行して発売された。

 

燥眠夜 Zoomin’ Night 『读音乐』

 

 音楽作品に付随するテキストを読むか読まないかは、前半にも書いた通りリスナーの自由である。ただ、読むことでより理解できる音楽もあるし、音楽家が自ら書くことにより受け手の想像力や音楽受容の範囲をより膨らませるということも少なくはないはずだ。そして作品理解に対する勘違いや誤解は圧倒的に減る。逆に、それがまた「言葉にする」ことの不味さでありリスナーに与える不自由さでもある。ただ、テキストを重要視する中国の彼らの音楽周辺には、常に心地の良いディスカッションや興味深い対話がある。

 

 次回は、比較として登場させたSub Rosaレーベルの他作品を例に出しながら、中国のノイズ・ミュージックの政治性について考えてみたい。

 


注釈

*1 sub jam blog「edward sanderson interview yan jun & zhu wenbo: about “There Is No Music From China”」2017年7月3日更新, http://subjam.org/blog/237

 

*2 打口(dakou)とは中国語で穴を開けるという意味で、ここでは1980年代から2000年代頃まで中国国内に流通した、カセットテープやCDの音楽メディアを指す。当時欧米は不良在庫となったプラスチック製品を中国へ輸出していた。その中に混じっていたカセットテープやCDに目をつけたバイヤーが、海外音楽を聴きたい者に売るようになった。CDやカセットテープには再販防止のために穴が開けられていたが大きくて2cm程度のものであるため、アルバムのうち1曲や2曲が聴けないことはあるが、残りの曲については問題なく聴くことができた。打口については以下を参照のこと。
・高屋亜希「現代中国における海外ポップカルチャーの受容 -ロックを例にして-」『多元文化』早稲田大学多元文化学会, 2013年
・Offshore “Edward Sandersonへのインタビュー:中国における実験音楽やサウンドアートの概況と歴史” 2019年12月22日更新, https://offshore-mcc.net/interview/810/


*3 董星はZoomin’ Nightや颜峻による企画イベントに多々訪れており、颜峻が主催していた『The Living Room Concert』の会場ホストを担ったこともある。このライナーノーツでは「非音楽家」として紹介されているが、音楽や美術のオーディエンスとして非常に豊かな知見を持っている。

 

*4 豆瓣音乐「兴奋期之后的卖卖|跟朱老师听 161222」2016年12月22日更新, https://mp.weixin.qq.com/s/ru3qq3gHHGCMK9d4sXFmGg

 

*5 辻田真佐憲『世界軍歌全集−歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代』社会評論社, 2011年

 

*6李宏杰『中国摇滚手册』重庆出版社, 2006年

 

*7 MIZUMA ART GALLERY, 「スーザン・フィリップス ⁄ Susan Philipsz」(アーティスト紹介ページ)https://mizuma-art.co.jp/artists/susan-philipsz/

 

*8 メール対話の中で高嘉丰が自ら紹介しているNYでのパフォーマンス映像を、今も観ることができる。終始英語で彼の一人語りとカラオケを聞かせるものである。Gao Jiafeng, “Gao Jiafeng Solo at Gallery 456” Vimeo, 02/21/2016, https://vimeo.com/156221833


*9このブックレットには「故事」(ストーリー)と題字が書かれており、もう一方のブックレットは「历史」(歴史)と書かれ中面には一部の音楽家のプロフィールが掲載されている。

 

*10 原文は以下のようになっている。”But in the long run there is a lack of natural evolution because every intellectual and artistic tradition was almost destroyed with the Cultural Revolution. Then, Chinese artists have tried to totally rebuild the inner and outer world as well as experimenting in every possible way for about 30 years now. That might shock the world of media, but it is not enough for real creation. Artists in China are still behaving like a child who is discovering a new world everyday. In the future, they will need to focus on what they really want.”