loading

Ahkokに聞く、雨傘運動のその後

Ahkok Wongに初めて出会ったのは、いつ、どこだったのか。おそらく知り合ってからもう4年ほど経つ。香港のライブハウスHidden Agendaのスタッフであった彼は、以前Offshoreで上映したドキュメンタリー 映画『Hidden Agend the Movie』にも登場していて、行政や警察とのやり取りは彼が行っていた。その後彼は、インディペンデントアーティストのスタジオが多くHidden Agendaも位置する観塘地区を離れ、香港の郊外に暮らしている。

 

新界(New Territory)の元朗区。地図で見ると、「こんなに遠いところにAhkokは住んでいるのか」と驚いたが、旺角から地下鉄で向かうと驚くほど近かった。香港ではいつも九龍地区か香港島の北部しか歩いておらず、狭い香港の中でもあまりに狭い部分しか自分が往来できていなかったことに気づく。

 

私にとっては、あの雨傘運動の後半に訪れた以来の香港訪問。(Offshore山本の香港Occupy日記
若いアーティストやクリエイターが積極的に参加したあの運動。大きなムーヴメントの末に、彼らの要求は政府に受け入れられなかった。その後のSNSやインターネットを観察していると、絶望のようなものが香港を包んでいるような感覚があった。あれほど、政治について社会について話すことが大好きだった香港の友人たちが、あまり言及しなくなっている。もしかするとその要因のひとつには、あのムーヴメントの最中のSNS疲れもあるのかもしれないけれど。


私は広東語を話せないので、香港の人たちひとりひとりの考えを知ることができないが、今の香港における政治・社会的な動きのどこか冷ややかな感じは一体何なのか。少しでも知ることができればと思い、Ahkokに会いに行った。Ahkokの現在の拠点、のどかな自然が魅力的な錦上路駅からスタートして、ランチと約3時間におよぶ散歩でじっくり話してきた。その会話の中の一部分をインタビューとして公開する。

 

Ahkok Wong(黃津珏 – アコック・ウォン)
音楽家、ライター、批評家、文化芸術研究家、アクティビスト。1980年生まれ。いくつかのバンドでのギタリストを経て、現在はソロで活動。ライター、批評家としては、あらゆるメディアにおいて、芸術、政治、社会、アクティビズムなど様々なトピックで寄稿してきた。アートと社会をむすぶギャラリー空間「活化廳(Wooferten)」にも積極的に関わってきた。観塘地区で約5年前に保護された猫「烏冬(Woodun:ウドン)」の飼い主でもある。

 


 

──どうしてこのあたりに引っ越してきたの?

 

観塘にあったスタジオを手放してから、どこに移り住もうかと考えていた。その頃は、この辺りで畑を借りていて何度も来ていた地区だから、ここに住んでみようと思った。たまにこの辺は牛も歩いているようなところだよ。

 

──まだ畑は続けてるの?

 

いや。こっちに引っ越してきてから辞めちゃった。特に理由はないから情けないんだけど……。畑って、たぶん向いてる性格と向いてない性格があって、好きな人は植物や作物が育っていくのが楽しいんだよね。でも僕はいろいろやることが多すぎて畑に時間を割けなくなっちゃった。

 

──今も大学で働いてる?

 

うん。今は2つの大学で働いてる。一つはLingnan Universityで、もうひとつはHong Kong Baptist Universityで。

 

──何を教えてるの?

 

Lingnanでは、カルチュラル・スタディーズを教えてる。Baptistでは、フィールドレコーディングやサウンドスケープに関して教えてます。特に香港の都市のサウンドスケープを授業で取り上げていて、香港の文化を都市の音から読み取って、どの音に焦点をあてるか、どの音をそこから抜き出すか、など、授業では学生と一緒に考えてる。

 

──例えば、道路や公共交通機関の音?

 

そう、ある視点ではそういったものを取り上げるし、香港独自の文化についても考える。例えば、このあたりの小さな町には、録音や採譜されてない民謡のような歌があって、学校などでは教えてもらえない歌。もしその歌い手がみんな亡くなってしまったら、もうその歌は消えちゃう。だから録音として残そうとも考えてたり。

 

──その歌は町ごとに違う?

 

うん。町ごとに違う。香港の都市に住む人たちは便利で現代的なものが好きだけど、こういう小さな町では、独自の文化を守ろうとする動きもある。

 

──Lingnanで教えてるカルチュラル・スタディーズって、具体的にどういう内容?

 

カルチュラル・スタディーズの授業では、ポップカルチャーにまつわること何でも教えてるかな。なぜ楽しめるのか、あと文化のもつ力。イデオロギーとか。

 

──大学で教えるのは楽しい?

 

Lingnanのほうが教えてて楽しいかな。Lingnanは香港ではそんなに有名大学ではなくて、だから学生たちも勉強ばかりになっていない。より生き生きしてる。あとアクティビストになる子も多くて、Lingnanはアクティビストを生む学校、って有名だよ。

 

──雨傘運動の後から?

 

いや、もっと前から。

 

──Baptistはそうでもないの?

 

Baptistは、大学のレベルランキングを上げようとしてる。だから、授業も本当は英語で進めないといけないっていうルールなんだけど僕は広東語で教えてて(笑)。学生の中には英語がそんなに得意じゃない子もいてて、彼らが授業中に発言しづらくなるから。

 

 

 

 

 

──雨傘運動のあと、香港はどう?

 

雨傘運動の後、雨傘運動について書かれた本がたくさん出版された。写真集も合わせると、30以上の出版物が出たと思う。あの運動で僕たちがどういう行動を起こすべきだったか、今後どうするべきか、現場に即した批評をしている本はない。多くが懐古主義に陥っていると思う。

 

──「私たちはこの素晴らしい運動に参加していた」みたいな陶酔?

 

そう。ノスタルジア。台湾ではひまわり運動のあと、一部の学者がかなり早い段階で運動を振り返った。まずかった点、良かった点を批評した。また、模範となる社会の草の根運動もあった。香港はそういかなかった。香港では冷静に批評するまでには至らなくて、むしろ批評は誰かを攻撃することだと捉えられている。でもそれは違う。香港はあの雨傘運動を解釈することにもっと時間がかかると思う。

 

──雨傘運動、あと先日の旧正月の魚蛋革命を経て、がっかりしてる?

魚蛋革命・・・香港で2016年2月、旧正月に起こった暴力的な運動。旧正月に出る魚蛋(魚のつみれ)屋台を取り締まった警官と、暴徒化した民衆との旺角あたりを中心とするぶつかり合い。
参考記事:香港で起こった「革命」はなぜ市民の支持を失ったか|ニューズウィーク日本版
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/02/post-4518.php

 

いや、複雑な気持ちではある。ただ、今の実情を把握できた。避けて通るべきじゃないと思ってる。これが今の香港の現状だとわかったから、まず僕たち香港の人たちができることは、おそらくもっと会話を積み上げていくことだと思う。政治に対する違った考えを知って、右も左も分析した上で同じ場に座ってディスカッションすること。

 

あと、雨傘運動についてはたくさんの英字新聞や海外メディアで取り上げられたけど、香港の状況を的確に報道しているものはなかった。あの運動を理解するには、まずは香港に住み香港を理解して広東語も話せないと厳しい。とにかく広東語を知らなければ、本当にあの運動の深い論点はわからない。

 

──うん、旺角オキュパイの最終日に旺角にいたけど、確かに本当に広東語がわからなければ何が起こっているのかわからない状況だった。オキュパイに参加している人にもいろんな考えがあるんだということは雰囲気でわかったけど、具体的に何を話しているのかわからないと理解できない。あと歴史も勉強しないと到底わからない。

 

まず知るべきなのは、あの運動は中国政府に反対する意味で行なっていたものではなかったということ。もっと複雑。運動に参加している人みんなが少しずつ違う考えを持っていた。

 

──日本の報道でも、中国政府に反対するデモ隊が、という風な解説が見られたけど、そういう運動ではなかったよね。まず、あれは行政長官を選ぶ投票制度が引き金だったはず。

 

僕が恐れているのは、あの運動がエスカレートして香港の人たちのアイデンティティの崩壊に繋がらないかということ。行動を起こすときに、どういう方法が有効なのかを心得ていない人もいる。一部の若い人たちは、ネオナチのように危険な方向に行ってしまうんじゃないかと、心配してる。

 

 


2016年4月23日、香港にてインタビュー

 

*Ahkokとの散歩の様子は、zine『20160422 20160425』にも掲載しています。
http://offshore.thebase.in/items/3302944