loading

Offshore山本の香港Occupy日記

9月後半から大規模な展開を見せた香港雨傘運動。昨日2014年12月11日の夜、いったん占拠活動は強制撤去により収束した。(しかし、ここを区切りとして自主的に退去した者も多いようだ。)10月23日から12月4日、私は約1ヶ月半かけてアジアを巡った。最後の約1週間は香港に滞在していた。雨傘運動について分析する記事は、政治ジャーナリストの方々にお任せしたい。ここでは、私が毎日書き留めていた日記の中から、雨傘運動に関連する記述のある部分のみを抜粋して公開する。また、撮影してきた写真も、キャプションを交えながら紹介したい。

 

雨傘運動のシンボルの一つとなった黄色いリボンになぞらえて、

黄色に塗られた道路標示の漢字の一部。金鐘Occupyにて

 


11月25日(火) 香港到着・旺角Occupy最終夜

やっと香港へ着いた。安堵感。空港内の行き先表示看板に、見慣れた繁体字明朝体。それを見て、心の底からほっとする。勝手知ったる香港だ。まず向かうのはレコード屋のWhite Noise Records。いちいち道を調べなくても場所を覚えている。いつも乗るA21という番号のバス乗り場に向かうが、大行列が出来ており、1本逃す。どうやら9月後半から大々的に始まったOccupyの影響で、ネーザンロードを通っていたA21バスは、一本西側を並行して走る上海街を通るようになってるらしい。今もネーザンロードの旺角周辺はデモ隊に占領されているはずだ。早く街の様子が見たい。香港の空港から市内へ向かうバスではWi-Fiが使える。Wi-Fiを使って、White Noise Recordsのマネージャーで、私の香港の親友、Garyとチャットで話す。「そのバス、たぶん、うちの店の下に着くよ」とGary。太子駅から一番近いバス停で降りると、まさに、Garyの店の下に到着した。なんて便利なんだ。笑ってしまった。Occupy、ありがとう。階段を上りWhite Noise Recordsのドアを開ける。久々の、Garyとの再会。店内の西側、一面ガラスの窓から下を覗くと、2階建てのバスがビュンビュンと上海街を通っている。エンジン音が凄まじい。南向き一方通行でいつもは夜になると静かな上海街が、まるでネーザンロードだ。歩いている人も多い。まずはGaryと一緒に晩ご飯を食べてから、Occupy旺角を見物しに行く。封鎖されたネーザンロード。最前線の近くまで行くが、一番前線までは見えなかった。人が多い。

 


Occupy参加者によって作られたバリケード。

手前に見える朱色のテープで警察が中に入れないようにブロックしている。

 


旺角の夜、大勢の警察官とすれ違うことが多い。

 

 

 

 

皆が向く方向に最前線がある。最前線は、大勢の警察官と対当しているらしい。

 

数年前、香港でデモに参加したことがある。中華人民共和国で義務教育とされている「愛国教育」を香港でも義務化とするという政府の決定にNOを突きつけた「愛国教育反対デモ」。非常にハッピーな雰囲気で、それを外から見守る警察は警備に徹し、デモに参加した人に「気をつけて」と声をかけるほど、素敵なデモだったのだ。しかし、その時とは違う雰囲気。張りつめた緊張感があり、一触即発の危機感も感じる。黒社会、いわゆるヤクザの出入りが激しいと言われる旺角地区は、今回の香港同時多発Occupy(他に金鐘、銅鑼湾が占拠された)の中でも一番危険で、また、主導する学生グループの統率範囲内でないため、ここを占拠したことを疑問視する声が日本のtwitterでチラホラ見られた。しかし、危険という印象はなかった。危機感はあるが、危険とは違うものだった。さすが、6月4日には天安門事件の日で何十万人がデモ行進を起こない、7月1日香港返還の日にも何十万人が集会を起こす香港。きちんとルールは保たれているし、個々がこういった現場に慣れている。ところどころで、Occupyに反対する人とOccupyデモ隊との口論らしきものが聞こえる。Gary曰く、こういった口論は頻発しているらしい。Garyと最前線の近くまで行ったとき、何かを叫ぶ声がどんどん伝達されていき、みんな後退する現象があった。最前線は警察部隊と対当しているため、警察部隊が前進したときに攻撃を受けないように「下がって!後退して!」というような指示を飛ばすらしい。そうすると、そこにいる全員がその指示に従い、そのまま下がる。この瞬間にiPhoneのカメラを向けていた私は、Garyに「今は撮らないほうがいい」と言われた。みんながみんな、カメラで撮影することに夢中になっているとデモ隊が危ない。香港のデモでは、こういった周りを気づかう姿勢が重要視されている。

 

このデモの様子を見て、漠然と悲しくなった。もう、私が好きになった香港は、戻ってこないんだ、と。3年前、Offshoreを始めるきっかけになった地は香港だ。香港で、たくさんの友達と数珠繋がりに出会った。香港での出会いがなければ、他のアジア各都市とも繋がらなかった。私にとっては、まさにアジアのカルチャーにおいてもハブとなる都市なのだ。香港の友達と話すことで、少しずつ香港の一国二制度を理解してきた。中国に返還されながらもfacebookは使えるし、みんなが政治について自由に語り合うことのできる香港。その一国二制度の絶妙なバランスが崩れ始めたことを、このデモを実際に体感することで実感してしまった。今後のOccupy、一体どうなるんだろう。

 

少し見物に行くつもりが、約2時間ほど旺角Occupyの内部でうろうろしていた。案内人となってくれたGaryも驚くほど、この日は警察のガードが秀逸で、占領されたネーザンロードに入るにはかなり遠回りしないといけなかった。さっきは開いていた通りが、数十分後には警察にブロックされている、なんてことも。 〜中略〜 Occupy賛同者も、商売の的だとOccupyを批判する人も、1ヶ月以上続く非常事態に相当疲れているようだ。

 


バス停は掲示板と化していた。

 

 

 

 

旺角周辺のありとあらゆる標示看板に、ステッカーや貼紙が。

 

足下にも様々なメッセージ。

 

奥に見える雨傘の向こうに、警察官達がいるらしい。

 

 

 

11月26日 旺角Occupyが消えた日

午前、Garyと茶餐廳(香港スタイルの食堂)へ行く。茶餐廳では、テレビで旺角報道を放映中。昨夜、私たちが旺角から離れた後、警察が旺角Occupyを一掃しようとしていたらしく、それが朝まで続いている模様。今まさに、警察が一掃しようとしているところをテレビが生中継していた。旺角の生中継を旺角の食堂のテレビから見るとは、面白い。茶餐廳にいるほとんどの人が、そのテレビ画面に釘付けになっていた。茶餐廳のスタッフと、茶餐廳のオーナーらしき人が、それを見ながら何か話している。Garyは何も言わずに画面を見ている。英語がいろんなところで通じてしまう香港。ここでGaryに、「今、この人たち何を話しているの?」と聞くのはナンセンスだと思い、店を出た後に聞いてみることにした。店を出て早速Garyに「あの人たち、何て話してた?」と聞く。予想通りの答えが返ってきた。「そのままその学生たち全部やっつけてしまえ!とか言ってた。」と。旺角周辺の商売人にとっては、Occupyは営業妨害以外の何者でもないのかもしれない。Garyは、「そういう考えって、いつも商売のことを考えてる香港人らしい。確かに短期的に見たらOccupyは損害。でも俺は、長期的な目で見て学生を支持してる。」と。

 〜中略〜 

メール返信がある程度終わったところで、外をぶらつくことに。まだ昼の3時だ。facebookでは、旺角Occupyが排除完了した、との情報を見た。上海街を南にゆっくり歩いていると、小腹が空き、茶餐廳に入って少し食べる。ここでもテレビが放映されている。朝と同じく、旺角生中継を旺角の茶餐廳で見る。なんと、ネーザンロード、北向き、南向きの両方向とも開通したらしい。つまり、旺角Occupyは完全に排除されている。なんだか虚しい。

 

香港に来ると必ず寄るKUBRICKという本屋に行って少し本を見物してから、White Noise Recordsへ戻ることにする。今度は、上海街を通らずにネーザンロードを北上する。ネーザンロード、一気に、一瞬にして、元通りになってしまっていた。茶餐廳で見たテレビの情報は確かだった。昨日デモを見物するために、立ち止まった辺りを思い出す。あのROLEXの時計看板があったあたりに、確かにデモの最前線があった。そういえば、昨夜は、ネーザンロードに架かるひとつのネオンサインがジジジ、ジジジ、と、電球切れで音を鳴らしていた。普段なら真夜中でもやかましいネーザンロードで、そんな音を聞くことができるなんて、と驚いていた。今は、まったく、普段通りのネーザンロードだ。旺角Occupyに設置されていたバリケード、あらゆるところに立てられた柵とそこに貼られたスローガン、メッセージ、あれは、どこに行ったのだろう?すべて消えてしまった。旺角中に貼られていたステッカーも、ほとんど消えている。ゴミ箱にも交通標識にも、至るところに「我要真普選」のステッカーが貼られていたのに。そんなに一瞬で、あのすべてを消せるのか?むしろ、昨夜私が見たものは幻だったのか。

 

立ち上がった人々が見事に排除された瞬間を目の当たりにした。非常に悲しい気持ちで歩く。ネーザンロードを通るバスを運営するバス会社の職員が、大慌てでバス停の表示を替えていた。旺角Occupyが始まってから、上海街や違う道を通っていたルートを、ネーザンロードに戻しているようだ。バス停の上に被されていたカバーには「現在このバス停は利用できません」というような旨の言葉が書かれていた。そのカバーも勢いよく取り外している。そういえば、昨夜はこのあたりのバス停標示にもOccupyに関係するステッカーや貼紙がたくさん貼られていた。あれらも、一瞬にして剥がされたらしい。よく見ると、バス停標示の下に、ステッカーを剥がした屑が落ちていた。きちんとシール剥がしの溶剤を使用してバス会社職員が必死で剥がしたのだろう。雨傘も、今回のOccupyを象徴する黄色も、旺角から消えた。まれに、剥がし忘れられた「我要真普選」ステッカーや、一部剥がし残されたステッカーを見つけることができた。非常に悔しい。だが、変な気分だ。ネーザンロードが復活すれば便利になるし、バス乗り場だって今まで通りの香港に戻り快適だ。九龍側の大幹線道路。誰もがここを封鎖されると不便は感じる。しかし、学生たちや、その学生たちを支援する人たちが集まって行動した記録のようなものが、一瞬で抹消されたことは恐ろしい。まるで、「あんなの、もう何年も前のことですよ」と言われているような気分。もしくは、「そんな事実は存在しなかった」と言われているような。

 


バス会社職員が大急ぎでバス停のカバーを外す。

 

昨夜ここは、人とバリケードで埋まっていた。

 

ステッカーの剥がし残し

 

車はネーザンロードを徐々に通り始める。どの角にも警察官が配置されている。

 

地下鉄入り口の上部も、ステッカー、貼紙、すべて消された。

 

バス停の下に落ちた、ステッカーを剥がした後の屑。

 

ステッカーの剥がし残し。

 

待機中らしき警察官を乗せたバンが上海街に並ぶ。

 


旺角から少し離れ、太子駅C出口付近の信号には

「我要真普選」ステッカーが残る。

 

12月1日 Occupy金鐘とKimiに聞くOccupy

さて、今日は香港雨傘運動の本拠地、金鐘駅に行ってみることにした。行政長官を全香港民の投票によって選ぶ、という制度を取り入れようとした香港政府だったが、その法案をいつのまにか葬り去っていたことを学生達が指摘しデモを呼びかけた。「私たちのリーダーは私たちの票で選ばせてくれ」と。今回のスローガン「我要真普選」の文字は、漢字から容易にその意味を想像できるだろう。彼らは金鐘に位置する政府総部の建物周辺を占拠し、ここが最大の占拠地区となった。
香港の地下鉄MTRで金鐘駅に到着する。MTRのホーム、改札口付近には異様なほどMTRスタッフが人員配備されている。警備のためで、ここで人を止めたりすることはないようだ。改札を出て、政府総部の建物に一番近い出口を出る。出口周辺には大量の貼紙やステッカーが壁中に貼られている。このOccupyの簡単な地図や、プラカードに使えそうなあらゆるメッセージ、キャッチコピー、イラストなど。そして、外に出ると、テントの群れ。歩道橋に昇るエスカレーターや階段は学生達によってバリケードで封鎖されており、遠回りしないと歩道橋には昇れない。2年前、愛国教育デモの時にここに来て見た景色を思い出した。まったく違った様相ではあるが、相変わらず政府総部のビルは嫌な迫力がある。今日の香港は、ぐっと気温が下がり曇り空。湿度も高くじめっとした冷たい空気。そんな天候も影響しているのか、薄気味悪い雰囲気が漂っていた。Occupy区の中は、毎夜人が集まるが、昼のあいだはシンとしている。まだ3時か4時ぐらいだったか。静かなテントの間を進み、歩道橋の上から眺め、じっくり観察した。 片側数車線の道路は両方向とも塞がり、車道の部分にずらっとテントが並ぶ。軽く1,000個は越していただろう。立ち並ぶテントの間には、学生達の自習場所もあれば、おっちゃんたちの寄り合い所みたいなところもある。あらゆる場所に、水を配るステーションやメディアのステーション、救護ステーションなどが存在している。ほとんどのテントの中はどうやら空らしく、テントの主は学校に行っているようだ。稀に、テントの入り口を開けた状態で休んでいる人もいた。政府総部の高い建物を見上げると、建物の上方にトンビか何かが旋回している。不気味だ。 Occupyが本格的に開始してから2ヶ月が経っている。ここで2ヶ月生活してきた学生達の生活感のようなものも滲み出ている。しかし、ここに留まり続ける気合いと精神力には、あらためて感服する。それとともに、旺角Occupyで感じたものと似たような、今までの香港のデモとは違う緊迫感も感じた。

 

テントの隙間をこの時間に歩き回っていたのは、海外メディアと思われる人たちや、私のような海外からの野次馬観光客が主だった。夜になると、雰囲気がまったく変わるんだろう。夜来るなら、地元の友達をガイドとして連れてきたほうが良さそうだ。Occupy区の出入り口がわかりにくいし、広東語で会話ができないとその場の状況に対処できない。トイレに行こうと金鐘の駅から直結しているビルに入ると、スーツを着た金融マンらしき人達がレストランで食事をとっている姿が見えた。そのレストランの窓からはOccupy区の無数のテント群が見えており、言葉には言い表し難い、不思議な光景だった。

 

金鐘駅出口

 

金鐘Occupyの簡単な地図。トイレや救護ステーションの位置が示してある。

 

 

奥の逆U字型のビルが香港政府総部。

 

 

大量の付箋メッセージが貼られた通称レノンウォール。

 

2年前、愛国教育デモの際にメインステージとなった広場。

その際に「公民廣場」と名付けられ、

現在Google Mapにはこの非公式の名称が表示されるようになった。

 

近くで見るレノンウォール。

 

Occupy区内の畑。

 

畑はレノンウォールの向かいに存在した。

 

学生のための自習テント。

 

金鐘でもバス停はスローガンやメッセージの貼紙で覆われていた。

 

 

 

夜は、Kimiと落ち合うために油麻地のSo Boringへ。So Boringは、日によって運営者の変わる飲食店。Kimiは日曜と月曜に手伝っているとのことだったが、今日は休みを取っているとのこと。私をSo Boringへ案内してくれて、一緒にゴハンを食べることとなった。Kimiは8時ぐらいまでには着くとのことだったので、7時半頃にSo Boringに行ってみた。Kimiはまだ来ていない。So Boringの前で立て看板のメニューを眺めていると、スタッフらしき女の子が英語でメニューを説明してくれた。キンカンのホットドリンクを頼んで、「これから友達のKimiが来るから、彼女が来てから食事を頼みます。」と言うと、「あ!Kimiから連絡あって、日本の友達連れてくるって聞いてます!オーダーする必要はないから、待ってて。」と、親切に対応してもらえる。寒空の中、少しほっとする。

 

キンカンホットドリンクを飲みながら待つ。少し経って、Kimiも到着した。雨が降り始めて寒いが、So Boringは外にしか席がない。日本のワンルームほどのサイズの店は、厨房と冷蔵庫が大半のスペースで、中ではどうも落ちついて食べたり飲んだりできない。外に仮設のテーブルと椅子を置いて、香港屋台スタイルで営業中だ。パスタとスープとパンと、ハンガリーのパンケーキをKimiと二人で分けながら、たらふく食べた。非常に美味しかった。特に、寒い中食べるスープが、とてつもなく美味しく、体に染みた。

 

KimiとSo Boringスタッフの女の子サム曰く、ここ数日、So Boringには本当にお客さんが来なくなった、とのこと。So Boringに来るような人たちは、この週末clockenflapやデモに行っており、みんな忙しいらしい。サムは、「So Boringに来るようなお客さんは、デモに行くような人たちだから、まあ売上減って当然だよね。」と言う。ここ最近は食材も余らせてしまいがちだそうだ。しばらくすると、サムのお母さんが食事にやってきて、同席する。広東語でペラペラとKimiに世間話を始めたお母さんは、よくサムを覗きにここにやってきて、夜の仕事の前に腹ごしらえしていくらしい。肩からかけたカバンには、黄色い雨傘が描かれた缶バッヂが付いている。お母さんは旺角で働きながら、旺角Occupyを支持しているらしい。あの旺角Occupy一掃のあと、旺角でOccupyしていた人たちは通称ゴウウという「ショッピング・デモ」に形態を変えた。旺角Occupy一掃の後、会見をひらいた行政長官C.Y. Leungは、香港民に向けて「(今回のOccupyで打撃を受けた)旺角のローカルビジネスを応援するために、旺角にショッピングしに行ってください。」と言ったらしい。それをきっかけに、誰かが面白いアイディアを考えついた。「よし、じゃあ行政長官の言う通り、ショッピングするぞ!」と、いうわけで、延々とウィンドウショッピングをする移動型の歩くデモをスタートさせたそうだ。そして、この背景には、かつて香港で話題になった、テレビ番組での面白いエピソードも関連している。レポーターが香港での親中派デモ(Occupyが本格的に開始する1ヶ月ほど前)に参加している人にインタビューを取っていた。レポーターはとある女性のデモ参加者にもマイクを向け「何をしにきましたか?」と聞いた。すると、その女性は中国普通語で「ゴウウ。」と答えカメラの前から逃げるように去った。ゴウウとは、中国普通語の発音で「購物」。ショッピングの意味だ。「私はショッピングに来ました」と言い瞬時にカメラの前から逃げた中国人の女性は、何らかの組織から金を受け取って親中派デモに参加したのではないか、と、香港で話題になる。C.Y. Leung行政長官が「さあ、旺角でショッピングを!」と言ったことを逆手にとり、誰かがこの中国人女性の“名言”をもじって、旺角Occupyは「ゴウウ=購物=ショッピング=買い物してるフリして歩き続けるデモ」に移行したのだ。

 

サムのお母さんから「ゴウウ」の話が出たついでに、Kimiに聞いてみた。「旺角は私よく歩いてるけど、まだそのゴウウのデモ隊見たことないよ?」と。するとKimiは、「本当にみんな歩き回ってるだけだし、どこからどこまでがデモ、っていうのははっきりわからないよ。実際に中国大陸からの買い物客も多いから。」と。Kimiもサムのお母さんも、こういった香港人のユーモアに溢れるクリエイティブな発想は大好きだと言い、ゴウウが生まれた経緯を話しながら笑う。ついでにKimiが他のエピソードも話してくれた。「Occupyが始まった当初にみんな笑った話があるんだよ。占拠しに行った人たち、『あ、ポケットから小銭落とした!』って言ってみんなで一斉に小銭を落とすの。『小銭拾ってるだけだ!』って主張しながら占拠する。あと、『靴ひもほどけたから靴ひも結び直してるだけだ!』っていうのもあった。そういうことを思いつく香港人がもう最高で、大好き。」と。その現場を想像して爆笑した。本気でデモを抑えようとする警察官たちに対して、そういったユーモアで向かい合う。その香港人の笑いを忘れないセンスは、もう脱帽以外の何ものでもない。

 

 〜中略〜

 

White Noise Recordsを終着に決めて歩く。小降りになっていた雨は、少し勢いを増してきた。旺角付近の電気屋街、西洋菜南街あたりで大勢の警察官が片方の歩道にずらっと並んでいた。おそらく100人ほどいたのではないだろうか。その向かいの歩道を私とKimiは歩いていたので、まるで警察官に見守られながら歩いているような気分になった。だが、どうやら警察官達は私たちのすぐ横、警察官たちから反対側の歩道の中でじっと立ち止まった人たちに注目しているということがわかった。「これ、何?」とKimiに聞く。「これがショッピング。」とKimi。これがあのゴウウ・ショッピング・デモのようだ。何もせず、静かに、歩道に突き出た商店の屋根で雨宿りしているように見えた人たち。もしくは、中国大陸行きのバスを待っている人たちのようにも見えた。(香港のいくつかの地点では、明確なバス停標示のない場所から中国大陸行きのバスが発車しており、発車時間近くになると大勢の人たちが集まっている。)その何もしない静かな群衆も、総勢100名近くいたと思われる。なかには、今回Occupy側のカラーとなった黄色いリボンを胸に付けている人もいた。しかし、様々なタイプの人、様々な年代の人が混在していて、そして本当に中国大陸からショッピングしにやってきたと思われるおばちゃんも混じっていたし、Kimiがさっき言ったように、どこからどこまでがショッピング・デモで、どこからどこまでが真の買い物客なのかがわからない。

 


Thanks to Gary, Kimi and all of my friends who met in Hong Kong.

Occupyが終了しても、香港ではあらゆる行動が分散的に起こる予感がしている。Occupy撤去の12月11日夜、香港からポストされるfacebookやtwitterには、「We will back.」「It’s just the beginning.」等のキャッチフレーズが多用されていた。