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マイケル・ルン インタビュー:養蜂、都市農園、 社会問題への取り組み。 そして、物語を紡ぐこと。

──これまで何度か日本でトークに参加されていて、特にマイケルのプロジェクト、HK HONEY(*)やHK FARM(*)については日本で知っている人が多いと思います。今もそれらのプロジェクトは続けているんですか?

*HK HONEY・・・マイケルらによって立ち上げられた、香港の養蜂プロジェクト。過去には採集した蜜ろうで作ったキャンドルや蜂蜜を製品化した。www.facebook.com/hongkonghoney/

*HK FARM・・・マイケルらが立ち上げた、香港都市部のビルの屋上を利用して菜園を営むプロジェクト。 www.hkfarm.org

 

前よりも小さな動きですね。HK FARMは2014年から2015年に、同じくこの香港で都市農園を営んでいる人たちと一緒に香港農民暦(The HK FARMers’ Almanac2014-2015)という本をつくるプロジェクトを行なったのが大きなイベントの最後でした。それからはもっと個人的に農業に関することのリサーチを続けています。

HK HONEYについては、蜂蜜を使った製品を生産することに関しては2013年で止まっています。蜂蜜の採集はしていませんが、新しいプロジェクトをこれから起こそうと考えています。香港の他の養蜂家たちも、何か共同体となるようなものがあればと思っているので、協力しあえるような動きをできればと。(*)

*HK HONEY フェイスブックページにて、この部分に関する考察がマイケルによって書かれている。ここで読むことができる。

 

──香港に養蜂家はたくさんいるんですか?

 

多くはないです。他の養蜂家はみな郊外にいますね。都市にはいません。多くが新界地区や、小さな島に。そう、最近、本を出したんですが……

 

──『路上の連帯(*)』ですね。

*路上の連帯・・・中文名:同心大道/英名:Solidarity Street マイケル・ルンによる著作で、香港での販売価格は香港の最低賃金34.5ドル。日本では、新宿のIRREGULAR RHYTHM ASYLUMで販売されている。黑書舍から出版された書籍。

 

そう、日本語でどう発音するのかは知らないのですが(笑)。そこで、未来の養蜂についてエッセイを書いています。『The Future of Bee Keeping in Hong Kong』というタイトルの、とても短いエッセイです。香港でのこれからの養蜂について。私の最近の養蜂に対する考え方や、いかに蜂を、蜂蜜を、“搾取”せずに養蜂するのか。蜂の生態学と、労働者としての蜂と、そのようなことを考慮して書いています。これは私が他の養蜂家たちとも意見を交わしたいことでありますし、こういった考えから何を生み出せるか考えたい。そして、蜜蜂は受粉しますから、さらには園芸家や農家たちを養蜂から支えることになるとも考えているのです。

こうなってくると、HK HONEYという名前は蜂蜜に焦点をあてていますから、名前を変えたほうがいいんじゃないかと思っています。今の私の考えでは、蜂の生態に注目している。でも、「HK BEE」(ホンコン・ビー)って、なんだか音感があまり良くない。なので、たぶん、「HK HONEY BEES」(ホンコン・ハニー・ビーズ)とかになるでしょう(笑)。

映画『ブレードランナー2049』を観たのですが、蜂が登場するシーンがあるんです。そこから着想を得て、未来の養蜂について考えを巡らせました。2049年って、実はそんなに遠い未来の話でもない。たった31年後です。そのとき、私たちもまだ生きている可能性が高い。

 

──『ブレードランナー2049』を観てから、『The Future of Bee Keeping in Hong Kong』を書いたと。

 

そうなんですよ(笑)。映画は2回観ました。

 

──『路上の連帯』には、たくさんの文章が収録されているんですよね。

 

24編の文章が収録されています。一部は共同執筆したものです。うち11編は中文訳、うち2編は日本語訳が収録されていて、すべてが1冊にまとまっています。時系列順に収録してあるので、同じ追体験をしてもらえるような編集になっています。

 

──まだ蜂に関わる活動を続けているとのこと、うれしくなりました。

 

『路上の連帯』での蜂に関するエッセイは、本の最終項です。昨年の10月下旬に書かれたものですね。また、友人と養蜂に関するリサーチをずっと続けているので、どこかでそれを本にまとめたいと話しています。

ただ、残念なことに、昨年、私の養蜂の先生であった方が一人亡くなったんです。養蜂を始めるときに、2人の先生から学びました。

 

──どれぐらいの期間、養蜂を学んだんですか?

 

だいたい4ヶ月ぐらいですね。

 

──当初、どうして養蜂を学ぼうと思ったんですか?

 

私は2009年の8月に香港に引っ越してきたんですが、その年の12月、冬休みにイギリスに戻って滞在したんです。そのときに、スウェーデンにも行って、郊外の森に友人と行きました。その森の中で、いくつかの箱を見たんです。それらの箱は、手作りされていて、本当に美しかった。茶色と白でペイントされていて、精巧なものでした。そう、まるで家のように見えた箱でした。

「この箱?家?これはなんだろう?」って友達に聞くと、「蜂の巣箱だよ」と教えてくれました。すべて、持ち主の方によって手作りされているもので、また、この持ち主の家も手作りで、蜂の巣箱と同じ外観だったんです。同じ素材で同じ色で、ちょうど大きさが違うだけでした。これが、養蜂に興味をもつきっかけとなった出来事です。神秘的な巣箱に、大きな好奇心をもちました。

そして香港に戻ってから、養蜂について調べ始めて、イップ先生に出会いました。

 

──養蜂の先生を探すことって、難しいのではないでしょうか?

 

確かにそうです。私は中文を読むことができないので、当時も英語で検索していたんです。もう今は廃刊となったのですが、当時はHK MAGAZINEという無料雑誌がありました。イップ先生の記事がこのHK MAGAZINEに載っていて、それを読んで、イップ先生に会いに行きました。イップ先生は、彼の奥さんと一緒に養蜂をしていて、私も参加させてもらって一緒に養蜂を体験しました。山に行って、野生の蜜蜂の巣を採集するということも経験させてもらいましたね。

 

街坊排檔 Kai Fong Pai Dong

 

──マイケルは、他にも香港の街のなかの特定の地域の小さな運動などにも参加しています。例えば、「街坊排檔 Kai Fong Pai Dong(*)」「棚仔 Pang Jai Fabric Market(*)」など。そういった地域の課題や問題に関わる運動は、当然地域の人たちが主役となって動いていると思います。そういった運動に、参加していくことは難しくはないですか?例えば、日本では地域の運動や行動にアーティストやクリエイターが参加しようとした時、歓迎されないシーンもいくつかあります。

*街坊排檔・・・油麻地の一角にある屋台型店舗。近隣の人々が自分の不要品をリサイクルショップとして販売したり、共同で店を運営する形態。日曜のみ開店。この屋台型店舗に人が集まり会話が生まれる、コミュニティにおける橋のような役割を果たしている。ちなみに香港では屋台を経営する者にもライセンスが必要で、年々ライセンスの更新条件が厳しくなっている。 www.facebook.com/kaifongpaidong/

*棚仔・・・荔枝角道(Lai Chi Kok Road)と欽州街(Yen Chow Street)の交差点に位置する、布問屋が集まった一角のことを指す。元来は道路上で営業していた布問屋200店舗以上が、1978年地下鉄建設のため、香港行政によって、当時空き地であった現在の棚仔に集められたのが始まり。現在は約50店舗が経営。布問屋経営者同士が協力して取り付けたと思われる低い屋根は、トタンやビニールシートでできており、中は迷路のように布問屋がひしめきあっている。布やボタン、レースや布装飾品が買えるのみでなく、服の修繕を引き受ける工房などもある。インタビュー中に言及される大学生を含んだ抵抗運動の結果、移転は一旦免れた。www.facebook.com/PangJaiHK

 

私は、それらの運動に参加することに難しさを感じませんでした。時間をかけて会話をすることが可能ですし、共に道を探していくことができます。これが学生だと、難しいと思います。学生は、どこかを調査して、問題を見つけて、締め切りがあって、それまでには終わらせないといけない。かけた時間は、関係性をまずつくるだけで終わってしまいます。これは、そう、香港の学生たちのあいだで良く議論されていることで、ひとつの問題でもありますね。

ただ、1年や2年かかってつくる関係性を、1回や2回の対話でつくることができる、という場合もある。もちろん、長い時間かけて向き合うほうがより深く互いを理解することができます。そして、アーティストやデザイナーとしてではなく、まずは「友人」として付き合うこと。うん、そうですね、私はまず友人として、それらの運動と関わっていると思います。

 

──例えば「棚仔 Pang Jai Fabric Market(※以下、棚仔と表記)」には、どのような経緯で参加することになったのでしょうか?

 

長い経緯があります。まず、2015年の1月上旬のことでした。私が講師をしている大学で、いくつかの芸術系の研究分野をまたがったグループ・プロジェクトがありました。私たち講師は、深水埗を基点としたプロジェクトを学生に提案しました。深水埗にしたことには特別に理由があるわけではなかったのですが、私がよく知っている地域でしたし、いくつかの場所を学生たちに紹介できる、ということもあって。

また、たくさん課題がある地域です。ナイトマーケットは常に政府から圧力を受けていますし、露天商も営業しづらくなっています。路上生活者のこともこの地域の課題ですね。学生たちにそういった社会問題を解説しました。

授業のなかでは2つのツアーを実施することにし、1つは深水埗の歴史ツアー、もう1つは私のツアーで深水埗の社会問題を知るツアーです。私のツアーで、棚仔の説明をしました。そのときは、棚仔の中には入らずに、説明が終わると別の場所を向かったんです。そのあと、ツアーに参加した一部の学生が棚仔に興味を持ち、この布問屋のみなさんについてのプロジェクトを自主的に展開することを決めたんです。そのプロジェクトは、この棚仔の地図を作るというものでした。地図と、棚仔の歴史や年表、このマーケットの中で起こった物語など。そういったものを布問屋の人たちからインタビューで聞き出し、地図に編集して埋め込んでいきました。

 

──ということは、学生が自分達でその地図をつくることにしたと。

 

そうなんです。彼らは棚仔でフィールドレコーディングもしましたし、何より、13週間のプロジェクト期間を経て棚仔のみなさんと友達になりました。

学期が終わり、3ヶ月が経った頃、棚仔のある布問屋の方から学生に電話があったんです。「政府から文書が届いた。棚仔を移転する、だって」と。学生は私に連絡をくれて、学生たちはまずミーティングを持つことにしました。香港理工大学から社会科学の教授や学生、また香港城市大学、香港中文大学などからも学生が参加しました。香港浸会大学からは芸術系専攻の学生も。彼らと棚仔のみなさんとでミーティングをしました。そこで、私たちは何をするべきか整理し、棚仔について考え行動するいくつかの関連グループをつくりました。政府からのトップダウン方式の移転通告に対して、どのように対話を可能にしていくのか、考えていったのです。

 

──まず棚仔の布問屋の方が、最初に学生に相談をした、というのが非常に面白いですね。とても良い関係性ができていたのだと思います。

 

はい。そういったことが起こったときに電話をもらえるほどの関係性をつくっていたということです。電話番号を教えあうということは、今ではそう簡単ではないと思います。例えば棚仔で何か買って連絡が必要な時には電話番号を教えあうかもしれませんが、友人として互いに電話番号を交換していた。学校でのプロジェクトが終わっても連絡を取り合っていたということは素晴らしいことです。

また、棚仔の方がフェイスブックページをすでに立ち上げていました。そのページがあることによって、NGO団体や労働関連のアクティビスト、ファッションデザインを学ぶ学生、アートディレクター、建築家、都市計画の専門家、地理学の教授など、たくさんの方が棚仔に注目し、活動に参加するようになったのです。

 

──香港じゅうからすべての智が集まってきたような形ですね。

 

まさしく。映像作家も参加しました。単独で参加した1名と、深水埗を拠点に活動する映像メディア活動団体が、特に深く参入してくれました。映像関係の専門家が参加してくれたことにより、棚仔移転をめぐる問題について考えるための大きなイベントを開催することができましたし、また、記者会見も行いました。行政との会議やデモも、記録して広く知らせることができました。とても良いチームでしたね。

もちろん、棚仔移転に抵抗する運動に参加した人たちはみなさん普段の生活もあるし忙しい人も多いです。忙しいときは一時的に抜けて、また活動に戻ってくる、ということも可能でした。だいたい常時30名ぐらいの人たちが動いていて、WhatsAppのグループチャットはたくさんありました。だいたい6つぐらいに分かれていましたね。

 

──この棚仔移転に抵抗する運動に、リーダーはいたのでしょうか?

 

いないです。棚仔の布問屋を代表するスポークスマンはいました。しかし彼がリーダーだったとは言えないですね。布問屋の誰もが個々の意見を言える状態でした。スポークスマンであった彼は、特に行政との調整や、活動の計画をどのように運んでいくか、考えることを担当していました。

また、関連グループにはそれぞれの分野の専門家がいました。例えば、私は、じゃあ記者会見ってどうやって開くのか?知りません。そういったことは、それぞれの専門家ができる。記者会見に関して熟知した人が関連グループにいたので、彼が各プレスにメールで報道発表を送ってくれて、記者会見を開く段取りをしてくれました。違った分野の人たちが集まってそれぞれの専門領域を活かしていましたね。

 

──日本では何かと、そういった運動にもリーダーが設定されることが多いかもしれない。リーダーのみでなく、きっちり、それぞれの役割を決めて動かなければ、日本の場合は運動が動きづらいのかもしれないです。

 

思うに、香港では、家賃を払うために忙しく働かなければ生きていけない。だからこそ、2ヶ月や3ヶ月、こういった活動の会議に参加できない期間があるのは仕方がないことなのです。棚仔の場合は、2年間以上抵抗を続けた運動です。うん、2年と3ヶ月ほどかかりましたね。とても長い期間を経ています。

 

──長い期間だからこそ、小さなアクションでも参加できるようなゆるやかな集まりなんですね。

 

そうです。また、そういった小さなアクションでも可視化して、活動全体の状況を示すこともできます。私はひとつのインフォグラフィックを作りました。

いくつのアクションがあったか、何回ミーティングを開いたか、何人が参加したか、いくつの布問屋がここで営業しているか、そういった、私たちのすべての活動の中で積もっていく成果を、目に見えるようにしました。

 


 

──その手法は、デザイナーとしてのマイケルの専門性から生まれてきたアイディアのようですね。

 

インフォグラフィックで表したので、そうと言えるかもしれないですね。これによって全体の活動を記録することができたと思います。中文と英文の2つのバージョンをつくりました。

イラストとデザインは私がやりましたが、もちろん、作成にはグループでデータを集めてもらいましたよ。私たちは、棚仔の運動において、いつ何をやったか、すべての行動をタイムラインにして記録していたのです。私がまず英文のほうを作成し、グループのメンバーが中文に翻訳してくれました。

実は、このインフォグラフィック、他の運動でも活用しました。「橫洲 Wang Chau」(*)という地区の開発にかかる抵抗の運動です。政府は橫洲を公営団地にするため、住民の立ち退きを命じました。しかし、行政と住民が話し合いをしていくうちに、当初は17,000戸の公営団地をつくると話していたのが、4,000戸に減少していたり、都市発展計画が非常にあやふやなのです(インフォグラフィックを指差しながら)。

*橫洲綠化帶發展關注組Facebookページ https://www.facebook.com/wangchaugreen/

 

 

 

 

──こうして見ると、確かにシンプルになって何が起こっているのかわかりやすい。

 

どの運動もきちんとタイムラインなど整理はしてあるのですが、少し見やすくしてみる、ということです。多くの情報が入りすぎているので、情報をシンプルにします。どの要素を載せるべきか、インフォグラフィック作成のためのグループで話し合って抽出します。どの情報が特に大切か。

 

──こういった活動に、どれぐらいの頻度で参加していますか?普段は大学講師の仕事もあるかと思います。

 

「橫洲 Wang Chau」にはよく通うようにしていますね。ここ数ヶ月は良く通っていて、1週間に2回ほど。ですが、運動全体の期間では平均すると3週間に1回ぐらいだと思います。

 

──棚仔へはどれぐらいの頻度で行っていましたか?

 

たくさん行っていましたね。1週間に2、3回は行っていました。しょっちゅうですね。運動によって参加頻度は違います。棚仔は、今も学生達とフィールドワークのツアーで訪れることが多いですしね。自分のスタジオが近いということも理由のひとつです。

先週の土曜、棚仔に行ってみたら、たくさんの香港中文大学の学生が、地理学の授業の一環で来ていたんです。そこに居あわせた私と、布問屋の人で、急遽彼らに棚仔ツアーガイドをしてあげたんです。誰かが香港に来たときは、棚仔を見てもらうために案内することが多いですね。だから必然的に行く機会が多いです。

 

──今はいくつの大学で教えてるんですか?

 

今は一校だけで、週に3時間だけ教えています。今はデザイン仕事などは引き受けていませんし、自分のやるべきことに集中しています。浪費する生活をしていませんし、十分です。自分で作っている本も売っています。

 

──ひとつ、どうしても聞きたいと思っていたことがあります。最近、マイケルが小説を書き始めたのはなぜなのでしょうか?

 

2015年頃から書き始めましたね。うーん、なぜでしょう、どういったことがあったのか、はっきり覚えていませんね。何かを伝えるひとつのメディアとして用いているのですが。うん、何かこう、自分が見たこと、観察したことを、ひとつの物語に混ぜ込んで他者と共有する。例えば、アート作品を作るようにやってみようと思ったのでしょうね。労働者を描いて何か伝えようとする画家がいるように。小説も、自身の視点を共有することができますから、ある種のコミュニケーションのためのメディアだと思っています。また、小説とともに絵もたまに描いています。ZINEをつくっていることも同じですね。ZINEという、自分自身で製作し、出版するという形式が好きです。小説に関しては、まだそんなにたくさん書いているわけではないですよ。まだ22編ほどじゃないでしょうか。

 

──22編も。かなりたくさん書いていますね。

 

いや、まだそのうちの一部しか世に出せていないんですよ。『路上の連帯』では、フィクション3編は中文訳をしてもらいました。また、そのうちの1つは、『路上の連帯』で江上賢一郎さんが日本語に翻訳してくれています。

Fong Fo(冯火)』という、もう5年ほど発行が続く、広州発の月刊ZINEがあるのですが、彼らが私に寄稿を依頼してくれて、毎月1編書いています。すでに1年以上寄稿しているので、12編ほどは『Fong Fo』に書いたということになりますね(*)。定期的な寄稿なので、自分にとっても書くということに前向きになれて良いですね。

*2018年6月時点で、マイケルは既に16編を寄稿している。

 

──フィクションを書くときは、自分が見たことなど、経験をもとにして書いていますか?

 

そう!そうだ、思い出しました。フィクションを書こうと思ったきっかけを。

あるとき、中国に旅行へ行ったのですが、SIMカードを買わなかったのです。だから私の携帯電話はただのカメラとなってしまいました。そこで、時間をもてあまして、中国から香港に帰るまでの時間にフィクションを書くことを始めたのです。電車とバスで、2時間ほど。その中国から香港まで帰る2時間で書き終わるフィクションを書いたのが、最初でした。

 

──では、その最初のストーリーは中国への旅行の話だったり?

 

私が書いたフィクションの多くは、中国が舞台ですね。広州や深圳、東莞、碧山村、北京など。香港を舞台に書いたものは、全体の30%ぐらいかと思います。残りの70%は中国本土が舞台です。

珠江デルタと呼ばれるエリアがあります。香港もマカオもこの一部に入っています。この珠江デルタに属するそれぞれの都市の物語を書きたいと思っています。中国政府が経済政策として設定した貿易と経済のエリアで、独特のブランディングがされています。各都市に訪れて、各都市の物語を書いて、1冊の「珠江デルタ」という本にしたいですね。いくつかの都市にはまだ訪れたことがないので、どんなものができるかわかりませんが。

そう、今香港と珠海を結ぶ非常に長い橋が建設中ですが、経費がかかりすぎたり建設工事に問題があったりして、当初の完成予定時期を過ぎていますがまだ完成していません。この橋に関する物語なんかもいいかもしれませんね。たぶん今年じゅうには「珠江デルタ」の執筆を進められるでしょう。

 

*2018年1月30日 油麻地の茶餐廳にてインタビュー

 


 

 

 インタビュー終了後、マイケルの案内によって棚仔へ。南方独特の、ガジュマル(榕樹)に囲まれた一角は交差点の角にある、ほぼ正方形で区切られた区画。地上から2メートルほどの位置でトタン屋根やビニールシートの屋根に覆われている。真昼間の外の明るさと比べると、中は非常に暗い。通りに面した幾つかの入り口からは、布という布が溢れかえるかのようにはみ出している。

 中に入ると、人が一人やっと通れる細さの小路が碁盤の目になっている。2、3メートルごとに店舗が変わり、それぞれ店主が接客や在庫整理していたり、またはのんびり新聞を読んでいたりもする。

 棚仔のなかへ一歩入った瞬間から、店主たちが次々にマイケルに声をかける。どの店主も、「お、来たか!」などと言って、広東語での世間話が止まらない様子だった。この日マイケルが身につけていた服も、実は棚仔で買った布やボタンを使って棚仔の洋裁師がつくったものだという。どの店を訪れても笑顔が見える棚仔は、実に生きた、活き活きとした市場だった。

 

インタビュー・テキスト:山本佳奈子


Michael Leung / Photo by Luke Casey

 

マイケル・ルン プロフィール *IRREGULAR RHYTHM ASYLUMウェブサイトより引用

アーティスト/デザイナー、都市園芸家、客員講師。ロンドンに生まれ、2009年よりデザインの修士号取得のため香港に拠点を移す。これまで手掛けたプロジェクトは、”The HK FARMers’ Almanac 2014-2015″のような都市の中での集団的農園の運営から、深水埗(Sham Shui Po)といわれる香港・九龍の下町にある「棚仔(Pang Jai)布市場」製のオブジェのコレクション“Pangkerchief”など幅広い。
客員講師を務める香港バプティスト大学では、ソーシャリー・エンゲージド・アートについて教鞭をとり、個人的な研究としては、バイオポリティックス(生政治)とネオリベラリズム(新自由主義)による地球規模の制約に対する、土着の応答の中にある横断的な農業形態”Insurrectionary Agricultural Milieux”に焦点を当てている。
ルンによるこれらの複合的なプロジェクトや、zine及びフィクションの物語などは、油麻地の青果市場内にある地域に根ざした公共の屋台「街坊排檔(Kai Fong Pai Dong)」で閲覧・購入することができる。

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