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第2回「中国のオルタナティブな音楽文化の概況(北京を中心に)」前編-音楽聴取方法の変遷と特徴

文:山本佳奈子

※この記事はTell the Truthにも同時掲載しています。

Tell the Truthとの共同企画による「アフターマスーCOVID-19による東アジアのポピュラー音楽文化への影響」(”Aftermath: Impact of COVID-19 on Music Culture in East Asia”)の連載記事です。


 

中国のオルタナティブな音楽文化におけるCOVID-19の影響を調査していくにあたって、まずはこれまでの概況を見渡すことは欠かせない。隣国でありながら中国と日本ではポピュラー音楽における環境や聴取習慣が異なるうえに、使用するSNSの違いや交流の少なさから、十分な情報が日本に入ってきていない。主流音楽であればまだしも、オルタナティブな音楽文化ともなればなおさら情報が少ない。しかし中国にもあらゆるレベルでのオルタナティブな音楽実践が存在し、その多くは「独立音楽」と称することができるだろう。Independent Musicの対訳である「独立音楽」と日本の「インディーズ」は同義となるはずだが、2021年現在、その様相は異なるものとなりつつある。

 

2019-2020年 – 大衆が「独立音楽」を受け入れた中国

ここ数年、中国国内で社会現象を引き起こした番組『乐队的夏天』(英名:THE BIG BAND、日本語訳:バンドの夏)についてまず紹介する。日本で言うところのインディーズバンド、つまりは独立音楽バンドがライブ演奏で競い合い格付けされていくバラエティ番組で、動画サイト「爱奇艺(iQIY)」にて2019年と2020年に放送された。中国では都市部に住む多くの人々がテレビよりも動画サイトを好んで見ており、番組には大手企業が競い合うように出資する。乐队的夏天においても、ヨーグルト飲料や携帯電話メーカー、ネットショッピングサイト等の大企業がスポンサーとなった。2019年の第1シーズン放送時には、中国最大の検索エンジンにて乐队的夏天というキーワードが日平均10万回以上も検索された。中国版Twitterとも言える微博(Weibo)ではバラエティ番組に関するトピックでトレンドNo.1となり、関連話題は220億回以上も読まれた[1]。出演した一部のバンドの出演料は、20倍にもなったとも言われており[2]、独立音楽は大衆から大きな注目を集めた。

 

ただし、この番組に出演した独立音楽バンドの音楽性はポピュラー性の高いものに限定されてはいなかった。例えば第2シーズンではノイズや即興演奏の手法を用いた演奏も行なうロックバンドCarsick Carsや、ポスト・パンクやテクノを演奏するバンド重塑雕像的权利(Re-TROS)が出演した。重塑雕像的权利のリーダー华东(HuaDong)は、番組内で司会の马东(Ma Dong)からこう質問される。「第1シーズンの乐队的夏天では、出演を断ったと聞いています。今回はどうして出演を決めたのですか?」华东は、「私たちのように少数派の音楽を演奏するバンドや音楽家が中国にもいるんだということを、このステージ前にいる音楽ファンたちに知ってもらいたかったから」と答え、拍手喝采を浴びた。番組内で彼らは観客のために聴きやすいポピュラーな曲を選んで演奏している様子はなかった。また、Carsick Carsは得票数が伸びず早々に淘汰され番組を去ったが、彼らもノイズ奏法を番組内でたっぷり行った。番組中見え隠れするバンドメンバーたちの素顔の親しみやすさも相まって、SNSでは出演バンドのフォロワー数が増加し、音楽ストリーミングアプリでの再生回数も爆発的に増えた。番組終了後も出演バンドたちは大きなライブイベントやフェスに出演し、人気を継続している。

 

 

重塑雕像的权利による乐队的夏天でのライブ映像

 

この記事の概要

日本のオルタナティブなバンドや音楽家達は一般的に、マスに向けた活動やテレビ出演を忌避し大衆に向けて活動することを感覚的に回避してきている。しかし乐队的夏天を見ていると、中国では今、ポピュラー性と距離を置いた少数派ジャンルが積極的に大衆の前に登場している。一体どのような歴史や環境があり、少数派ジャンルが大衆に向けてアピールするようになり、さらに大衆も少数派ジャンルを評価するようになったのだろうか。現在に至るまでの中国におけるオルタナティブな音楽文化の変遷をたどり、聴取習慣や環境面での日本との差異を特徴と捉え、さらにその特徴をもつに至った要因も探ってみたい。

 

そこで、この記事では、中国のオルタナティブな音楽文化の変遷を約40年前まで遡り、現在に至るまでの概況を示す。前半記事では音源聴取方法を中心に据え、徐々に国外の音楽が流入してきた改革開放期からストリーミングで音楽を聴く現在までを解説する。そして後編記事として、代表的な独立音楽レーベルについても言及しながら鑑賞する(させる)文化の軸となるライブハウスおよび音楽フェスの変遷と特徴について解説する。日本から見ると霞がかって見えてしまう中国の独立音楽世界をできるだけ誤解のないように説明したい一心で、思わず文字数が増えてしまった。各項に見出しを付したので、必要な年代やトピックをつまみ読みしていただいても構わないが、2つの記事全体を通して読んでいただくことで立体的に捉えられるはずである。

 

加えて、これだけ文字数を増やしながらも、膨大な中国オルタナティブ音楽史約40年間のほんの一部、特に北京の話題にしか言及することができなかった。言わずもがな中国は広大で、多くの省と多くの民族から成り、地域によって文化や流行、方言が異なる。今や国内の移動の容易さやインターネット通信による情報インフラのおかげで、北京で音楽活動せずとも、広州や厦門、武漢に成都、大連に蘭州など地方で活動を続ける音楽家が多数いるという事実を無視できるはずはなく、地域の音楽実践こそオルタナティブだと言える。しかしながら、まずはいち早く音楽文化が育ち隆盛した首都北京を中心に見ていきたい。

 

戦後から文革期 – 禁じられたポップス

まず、簡単な中華人民共和国の歴史に触れる。第二次世界大戦後、中国大陸内では国民党と共産党の争いとなり、蒋介石率いる国民党が台湾へ押し出された。現在の台湾つまり中華民国と、中国大陸側の中華人民共和国、2つの中国が生まれたのは1949年のことである。その後、中華人民共和国では毛沢東により大躍進政策、続いて文化大革命が推し進められた。音楽や舞台芸術においては国策に沿ったものしか上演されず、中国共産党政策の宣伝に利用された。


映画『芳華』で描かれたのは、文革後期における文工団の青春物語である。バレエを基軸としたダンスや歌、器楽(洋楽器と中国楽器両方を含む)の精鋭たちが全国から集められた文工団は、日々修練し、音楽とパフォーマンスで兵士を鼓舞し、民衆に党政策を宣伝する。映画のなかでの描写のひとつが当時の音楽状況を語る。1970年代後半、エリートである彼らは台湾出身歌手テレサ・テンのカセットテープをどこかから入手する。こっそりと仲間たちとテレサ・テンによるポップスを聴く様子は、日本の音楽リスナーにとってはもしかしたら異様で、意味不明に映るかもしれない。文化大革命の最中であった当時、洋楽もポップスもテレサ・テンも、まだ中国には流入していなかった。エイトビートのポップスは、彼らにとってどこまでも斬新に聴こえたに違いない。また裏ルートで入手した国外のカセットテープを聴くことなど、十分に批判に値する行為だった。

 

 

映画『芳華』における当該のシーン 「「芳華-Youth-」深夜にテレサ・テン」

 

改革開放期 – 慎重に輸入され始める欧米のポップス

1976年、毛沢東が逝去し文化大革命も終わり、中国は鄧小平によって改革開放が進められていく。欧米のポップスに関しても徐々に慎重に輸入され、ラジオでも放送されるようになった。しかし、1970年に既に解散していたビートルズは1970年代末になっても輸入されず、中国ではほとんど知られていなかった[3]。1979年には欧米のポップスをカバーするバンド万里马王(WanLiMaWang)が北京第二外国語学院のメンバーで結成され、このバンドが中国で初めてのバンドだと言われている。その後、1983年に大陆(DaLu)、1984年には不倒翁(The Tumbler)に七合板(With Seven Player)、1987年にはADO等のバンドが北京で誕生した。彼らは概ねポップスを翻訳カバーした楽曲や、フォーク、カントリー、ソフト・ロックやオールディーズ等を奏で、北京の人々の耳を慣らすことに貢献した[4]


一方、国が正式に許可をして開催された音楽公演では、1980年にゴダイゴが初の国外からの訪中バンドとして中国公演を行っている[5]。翌年天津市で開かれた日中国交正常化10周年イベントには日本のアリスが出演した[6]。1985年にはイギリスのWham!が公演を行い、1987年には欧米や香港、台湾の音楽を紹介する雑誌『音像世界』が上海で創刊された。国営ラジオでは、1988年にはアメリカのフォークが、その翌年には欧米で流行していたポリスやR.E.M.、いわゆるロック音楽が公式に放送されるようになった[7]

 

1980年代後半 – 中国ロックの誕生

1984年に結成されたバンド七合板のメンバーだった崔健(Cui Jian)は、ソロでも活動を始めた。1986年には中国西北風の旋律を融合させたロック曲『一无所有』(日本語訳:何もない)を、北京のコンサートで発表した。このコンサートで高い評価を得て、崔健は一気に注目された。そして音楽ジャンルとしての「ロック」が新音楽として人気を得る。崔健はそれから現在まで、「中国ロックの父」と称される。

同時に1980年代中期ごろから、大学生の間でギターが流行し、オルタナティブに開催されるロックパーティーが増加し、学生運動も盛んになっていく。若者がロックに鼓舞する一種の気質と自由主義が手を取り合い結成された「北京大学崔健後援会」は、決して小規模なグループではなかった[8]。崔健は天安門広場に集まる学生たちの前で『一无所有』を歌った。また、1988年に結成されたバンド唐朝(Tang Dynasty)のボーカル丁武(DingWu)は、フランスで生まれた社会主義を理想とする労働歌『インターナショナル』を歌った[9]。毛沢東時代の中国では軍隊や音楽劇に使用された楽曲だが、1980年代末期の天安門広場では自由主義を求める学生たちが自発的に歌い、中国の歴史においては多重の政治的な意味を持つ歌である。『インターナショナル』は政治運動に参加する学生たちのアンセムとなり、現在も唐朝の代表曲とされている。

 

多くのバンドが誕生したのが1980年代末期だったが、六四天安門事件以降はロック音楽も緊縮状態となった。しかし1990年には大型ロックコンサートが開催されるようになり、崔健に続きスターダムにのし上がった窦唯(Dou Wei)、何勇(He Yong)などが活躍し始めた。中国ロックは衰えず、国内のみならず香港や台湾でのリリースも活発となる。流入からたった10年余りで新音楽ロックは中国の大衆音楽となり国内でロックスターが生まれたにもかかわらず、欧米のポップスはまだまだ少量しか輸入されず、リスナーが自由に選択し聴取する環境は整備されていなかった。

 

 

唐朝によるメタルアレンジの『インターナショナル』


1990年代 – 欧米からの廃棄テープ・CDで洋楽を聴く打口(Dakou)時代の始まり

音楽批評家でライターの王小峰によると、1990年代に突入する直前は、北京のレコード店に行っても最新国外音楽はマントヴァーニ楽団や喜多郎などの軽音楽と、The Shadowsやニール・ダイヤモンド等の古いものしか並んでおらず、ビートルズもローリング・ストーンズもなかった。その後、1990年から1991年頃に音楽ファンの間でダビングしたカセットテープの交換が頻繁になっていったと言う。中国図書進出口総公司(出版物を輸出入する中国国営企業)は、2年に一度主催していた輸入音楽展示会の際に集めたサンプル音源を、展示会が過ぎれば販売店で販売した。中国国内に1つしか入ってこなかったカセットテープである。幸運にもこれを買うことのできた音楽ファンは、友人や他の音楽ファンのためにダビングし、ジャケットも複製し、互いに交換し、音楽の知識と情熱を分け合った。洋楽に飢えた音楽ファンたちの情熱を利用し、ダビングしたカセットテープを販売し商売する者も現れ始めたと同時に、約十数年間続く打口(Dakou)の時代に突入する。

 

打口とは中国語で穴を開けるという意味であり、約2cmのスリット穴が開いているカセットテープやCD、また時にはアナログレコードのことを指す。打口は1990年代から2000年代初期に青春時代を過ごした音楽ファンたちにとって重要な音楽メディアだった。

1990年代、肥大化する欧米のポピュラー音楽ビジネスの裏で、たくさんの廃棄物が生まれた。大量生産されるカセットテープやCDが余ると、リサイクル用のプラスチック品として中国へ輸出された。また、当時欧米のレーベルは生産コストを下げるため、カセットテープやCDを大量生産した。実販売数は製造数を下回り、売れ残る。アーティストに対して印税を支払う義務があるレーベルは、印税支払いを回避するために過剰在庫を廃棄した。

中国は、リサイクル用プラスチックとしてこれらの音楽メディアを買った。音楽メディアとしての再販を防ぐため約2cmほどの穴が開いていたのだが、多くの場合が音源の一部を除き聴くことができた。ワーナー、EMI、ソニー、ポリグラムなどから届いた廃棄音源は、中国に到着し何らかのルートを通じて地下で取引されるようになる。聴いたことのない国外音楽に飢えた中国の音楽ファンたちは、正規に輸入されていた洋楽ラインナップでは充足せず不満だった。また、正規輸入版の価格は、当時の若者には気軽に買える価格ではなかった。Jada Liによるドキュメンタリー映像『打口碟纪录片:Nirvana and Pulp A Story of Scrapped CDs』(Jada Li、2013年)では、ロック音楽ファンのみならずクラシック分野からの証言も収録されている。中国音楽学院でクラシックピアノ講師を務めるGuang Changxinは、「当時の正規輸入CDは100元を超え学生だった私には高かったが、打口で買えば20元から30元ほどで購入でき節約できた」と語っている。

 

打口カセットテープや打口CDは個人間で売買された。打口バイヤーが現れ始め、彼らは訪問販売や街の一角で自身の打口が詰まった箱を客に見せた。暴利に走るバイヤーもいれば、商売下手なバイヤーもいた。一般的には10〜30元ほどで売買されていたそうだが、穴の位置が幸運にもズレたり穴開けに失敗したもの、もしくはあまり出回らないバンドの音源やアルバム、つまりレア物は、ときに80元ほどの高い値段で取引された。また、打口のバイヤー達は彼らの商品を買い手に見せる時、ジャンルや年代別のカテゴライズをしなかった。「マドンナからプリンス、マイケル・ジャクソン、すべてのアーティストがランダムに」「すべての音楽が同じレベルで並べられ」[10]たのだ。そして当時この地下取引による音楽聴取に没頭した者の一部が音楽ライターや音楽批評家となり、また一部は、バンドを始めた。タワーレコードもHMVもなく、音楽情報雑誌も少ない当時の中国で、友人や知人からの口コミを頼りに、ジャンルレスに音楽を探求し打口に熱狂したこの世代が、現在の中国におけるオルタナティブな音楽文化の下地をつくっている。

 

 

打口碟纪录片:Nirvana and Pulp A Story of Scrapped CDs by Jada Li (2013)


2000年代 – 打口の終焉とインターネット時代の始まり

2000年代に入ると、徐々に打口は衰退していく。この頃になると、すでに十分に洋楽素養を身につけた国内の音楽家やバンドが活躍しており、後編記事で解説するライブハウスも増え始め、オルタナティブな音楽文化が活気付いた。そして、インターネットの登場である。音楽ファンたちはP2Pソフト等を利用して、MP3ファイルの共有をするようになった。海賊行為とも言えるかもしれない。洋楽のみならず、日本や香港、台湾等地域を越えた音楽が共有された。


筆者が以前に話を聞いた中国の某音楽ライターは、当時中国に正規盤が輸入されるはずもなかった日本のフリージャズやジャパノイズをネット上で必死に探し、聴き漁ったという。「回線がまだ遅かったから、夜のうちに聴きたい音源のいくつかにチェックをしてダウンロードをクリックした。翌朝になってからやっと、ダウンロードできた音源を初めて聴くことができたんだ」[11]と経験を語った。2000年代に入っても中国にはタワーレコードもHMVもなかった[12]。街のレコード店の多くは京劇から多少の国内外ロック、CD、DVD、VCD等を全般的に扱うソフト屋だった。昭和から平成期に日本の地方の駅前で見られたCD店に似ていたかもしれない。また、インターネットが普及すると多くの店は淘汰された。

 

現在 – 中国のインターネット状況と国産サービス

インターネット時代の中国での音楽聴取方法について解説する前に、中国のインターネット状況についても触れておく。中国国内でインターネットに接続した場合、Google関連サービス(GmailやGoogleマップ、Googleドライブ、Googleアプリ、YouTube等すべてを含む)やFacebook、Instagram、Twitter、Spotify等、世界で一般的に使用されているサービスにはアクセスできない。中国政府の管理によるもので、金盾あるいはネット検閲と呼ばれたりもする。どうしてもブロックされているサービスを利用するには、VPNに接続し他国のサーバーを経由しなければならない。中国でも多くの音楽関係者や音楽家、アーティストがVPN接続しているが、多くの場合、月に数百円から数千円をデータ通信量に応じて支払っており、常時VPNに接続する者は少ない。また、全国人民代表大会など政治に緊張が走る時期が近づくと、中国国内のVPN運営会社が多数摘発されることもある。では中国の人たちは普段、どのようなネットサービスを利用しているのか。Googleにあたる検索エンジンでは百度(baidu)が便利で、SNSでは中国版Twitterとも言える微博(Weibo)、微信(WeChat※以下記事中は英名を採用)、豆瓣(Douban)に抖音(TikTok)等充実しており、国内でのコミュニケーションにおいては困ることはない。中国政府がどの程度個人情報の管理を望んでいるのかは知る由もないが、国民に国産サービスの使用を促し国内企業の利益を確保したいという経済面での要因も重なっているはずである。

 

現在 – 音楽情報の共有に用いるSNS

現在中国のオルタナティブな音楽を知る上で、なくてはならないツールはSNSである。日本では多くのバンドやライブハウスが、まずオフィシャルウェブサイトを持ち、その上でSNSを展開させているが、中国の多くのバンドやライブハウス、レーベル等はオフィシャルウェブサイトを持っていないか、持っていても何年も前に更新が止まっている。オフィシャルウェブサイトを更新せずとも、SNSで事足りるからだ。ちなみにこの傾向は中国のみではなく、香港や台湾、東南アジア地域でも同様である。


2011年中国でサービスが開始されたアプリWeChatは音楽情報の共有に活用されている。代金支払いに友人への送金、グループチャットやファイル共有、記事のブラウズに検索、そして各アカウントからのニュースフィードを閲覧でき、もちろん電話にビデオ通話にも使用できる。仕事から日常生活まで様々な場面でWeChatが使用される。多くのチケットアプリや動画アプリ、音楽ストリーミングアプリはWeChatと連携していて、WeChatのアカウントを持たないことなど中国では想像できない。しかしながら、日本で使用するSNSとは違い、「友達かも?」などとSNS側から友達の輪を広げることは提案されず、自分で能動的に友達追加した人や能動的にフォローしたアカウントの投稿しか見れない仕組みになっている。広告も圧倒的に少ない。よって非常にクローズドなSNSとも言える。加えて、Twitterと似た微博も音楽情報共有に大いに役立つツールである。

 

現在 – ストリーミングアプリと版権処理の強化

WeChatの登場と同時期に、中国国内でスマートフォンが普及し始めた。そして音楽聴取方法もスマートフォンで聴く方法に移行し始める。2021年現在、日本で我々がSpotifyやApple Music、YouTube Musicを使っているように、中国でも国産のストリーミングアプリを利用して多くの音楽ファンが音楽を聴いている。网易云音乐(Netease Cloud Music)、酷狗音乐(KuGou Music)、QQ音乐(QQMusic)、千千音乐(Qian Qian Music)などが代表的なアプリだ。もちろん、世界的にインディペンデントなアーティストに使用されているbandcampで楽曲を発表している中国の音楽家もいることは付け加えておく。

 

中国政府は2015年7月8日、「版権に関する最も厳しい命令」を下した。インターネット上で権利処理をしていない音楽がある場合は同月31日までに取り下げること、取り下げなければ法に基づいて厳格に対処する、というものだった。7月末、16の音楽プラットフォームから取り下げられた楽曲は220万曲余りになったという[13]。翌年には「剑网2016」と冠した版権未処理案件の大一掃キャンペーンを行なった。その数年間以降、音楽ストリーミングアプリにおいても権利処理が徹底されるようになり、先に挙げたような有名アプリを利用して音楽を聴く場合は正規の方法で音楽を聴いていることとなる。もちろん、国外のバンドもたくさん登録されている。打口時代に売買されていたSonic YouthやThe Smiths、Oasisなどを网易云音乐で検索してみると、しっかり登録されている。スマートフォンとネットさえあれば、多くの国外音楽、しかも大手レーベルの有名アーティストに限らず、オルタナティブな世界各地の音楽も聴けるようになったのだ。

 

現在 – CDの衰退およびその他の物理メディア

CDについても触れておく。日本では現在も、ストリーミングで聴くのか、CDを買って物理メディアとしての音源を所有し聴くのか、個々によって好みが分かれている。現在中国の独立音楽バンドやアーティストたちがCDでリリースすることは稀である。2010年頃以降、中国最大手の独立音楽レーベル摩登天空(Modern Sky Records ※重塑雕像的权利や刺猬(Hedgehog)、后海大鲨鱼(Queen Sea Big Shark)などが所属)は、それまで主にCDで流通していた音源リリース方式をストリーミングアプリでのリリースに移行し、アルバムという単位での作品発表が減った。事実、重塑雕像的权利は2009年に初のフルアルバム『WATCH OUT!CLIMATE HAS CHANGED,FAT MUM RISES……』を発表し、8年後の2017年にやっとセカンドアルバム『Before The Applause』を発表した。8年間彼らは休止していたわけではなく、音楽フェスや海外ツアーに多忙なライブ活動をこなし、当時から既に活動の軸足を音源制作からライブに移していた。後編記事で触れるが、大型音楽フェスティバルが盛んになり、ライブとフェスの収益が重視されるようになったのが2010年頃である。物販で販売する音源としては、CDよりもアナログレコードがよく作られるようになった。ただ摩登天空からのリリースであっても、CDで発表されることは稀にあるし[14]、また世界中でアナログレコードとカセットテープが復権しているのと同じく、より小さな規模のレーベルやバンドは物理メディアでのリリースを好む。日本と比べてCDが衰退する時期は圧倒的に早かったが、特殊なジャンルや小さなコミュニティで、物理メディアが一定の支持を得ているのは変わらない。

 

写真:独立音楽CDを扱う数少ない北京の店『福声唱片(英名:Free Sound Records)』(2011年筆者撮影)

 

まとめ-音楽ジャンルで分け隔てられない中国独立音楽

中華人民共和国成立後約30年間の鎖国状態を経て、改革開放後、徐々に国外音楽が輸入されてきた。国内ではロックスターが生まれるも、音楽ファンのさらなる国外音楽への欲求に答えるインフラはなかなか整わず、プラスチック廃棄品として輸入された打口カセットテープや打口CDが地下取引された。熱心に新しい国外の音楽を探し友人と情報やカセットを交換し、国外の音楽に熱狂した音楽ファンの中から音楽批評家やバンドが生まれた。そしてまもなくインターネットが広く普及した。海賊行為とされるインターネットでのファイル共有等が一般的になり、CDは瞬時に淘汰され、今度はスマートフォンが広く一般に普及した。ストリーミングアプリは中国政府からの厳しい管理により版権処理が徹底され、今や中国ではスマホとネットさえあれば少数派の音楽でさえも合法的にかつ容易に聴けるようになった。また、誰もがストリーミングアプリにアクセスしバラエティに富んだ独立音楽を楽しめるようになった現在では、ごく一部のコミュニティやコレクターがカセットテープやアナログレコードを愛用している。


ここで日本と中国のオルタナティブな音楽文化の差異を再考するとすれば、中国に圧倒的に不足していたものはジャンルという概念である。1990年代に音楽批評家として活動していた颜峻(Yan Jun)は、「当時ってなんでも「ロック」って呼んで良かったんだよね」「エレクトロでもロックって言っちゃってたかな。大きなグループとして、メジャー音楽ではないものを全部まとめて、細分化してなかった」と筆者の取材に答えている[15]。1990年代わずかに増加した音楽情報誌やファンジンでジャンル表記やジャンル紹介がなされることはあったが、日本との決定的な違いは、タワーレコードやHMVあるいは小さなレコード専門店で整理整頓されたジャンル別の棚から音楽を選び取る体験をしなかったということである。CDという物理メディアに親しんだ期間も非常に短かった。逆に言うと、日本でこれほどまでにジャンルを意識させられるのは、音楽家本人や音楽ファン本人たちの希望ではなく、音楽情報誌や小売店が増殖し飽和状態に陥り、販路拡大と棲み分けを図るにはジャンル分けを徹底していくしかなかったのではないかと推測する。中国の音楽ファンたちはジャンル分けされた棚やジャンル専門音楽雑誌を目にしなかったことにより、過去も現在も音楽聴取を柔軟に能動的に楽しむことができている、と捉えることもできる。中国の大衆が、ポピュラー性と相反したテクノやノイズを乐队的夏天で受け入れたのは、ジャンルで取捨選択する聴き方が一般化していないからではないだろうか。しかし一方で「独立音楽」というラベリングが乐队的夏天により大きく拡散された現在、中国の音楽ファンは自身の音楽嗜好を顧みることなく、独立という言葉に対抗文化としての意味が含まれているかどうか気にかけることもなく、トレンドの一つとして独立音楽を選択しているようでもある。独立音楽というラベリングが現在のマーケットで爆発的な吸引力を持ってしまったということは少なくとも事実である。


後編記事では、鑑賞の変遷と特徴をたどる。

 


1 ^ 王传历「小众音乐综艺节目 《乐队的夏天》的特色分析」声屏世界、2020年

2 ^ Mia「《乐队的夏天》让乐队出场费增长20倍:摇滚的贫穷与梦想」娱乐独角兽、2019年7月9日 https://zhuanlan.zhihu.com/p/72898779

3 ^ 颜峻「铁血或盗汗-追忆十年摇滚」『中国摇滚手册』重庆出版集团图书发行公司、2006年、353p

4 ^ 同書、354p

5 ^ ゴダイゴ Official Website、最終閲覧日2021年1月12日 http://godiego.co.jp/godiego/works/04-01d-01g-01album-13-china.html

6 ^  神奈川新聞「音楽でアジアつなぐ 谷村新司、日中国交正常化45周年公演前に思う」2017年5月28日、 https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-13426.html

7 ^  王小峰『答案从未在风中飘过』重庆出版集团图书发行公司、2010年、99p

8 ^ 同、355p

9 ^ 千野拓政編著『越境する東アジアの文化を問う─新世紀の文化研究』ひつじ書房、2019年、235p

10 ^ 山本佳奈子「Edward Sandersonへのインタビュー:中国における実験音楽やサウンドアートの概況と歴史」Offshore、2019年12月22日 https://offshore-mcc.net/interview/810/

11 ^ 筆者から某音楽ライターへの取材より、2015年4月

12  ^ 香港特別行政区にはタワーレコードもHMVも出店されたが、中国から香港へ渡るには査証が必要である。

13 ^ 法制日报「2015年中国版权十件大事公布 国务院发布知识产权强国建设若干意见居首」2016年3月4日 http://ip.people.com.cn/n1/2016/0304/c136655-28170607.html

14 ^ 例えば2018年5月にリリースされた茶博士(Tea Rockers)による『虚构 – fictions』は特殊ジャケットCDで発売された。 http://yanjun.org/archives/2038

15  ^  山本佳奈子「Yan Junの過去と変化:Yan Junインタビュー」Offshore、2015年1月3日 https://offshore-mcc.net/interview/492/


参考文献・ウェブサイト:
李宏杰『中国摇滚手册』重庆出版集团图书发行公司、2006年
王小峰『答案从未在风中飘过』重庆出版集团图书发行公司、2010年
高屋亜希「現代中国における海外ポップカルチャーの受容 -ロックを例にして-」早稲田大学多元文化学会、2013年
日本貿易振興機構(ジェトロ)「中国の音楽市場調査」2018年
中国摇滚DATA BASE http://yaogun.com/