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Edward Sandersonへのインタビュー:中国における実験音楽やサウンドアートの概況と歴史

 いまだ、中国の実験的な音楽やアンダーグラウンドな音楽、またはその周辺の環境を専門に調べたり研究したりする人物はほんの数名しか世界にいないかもしれない。必然とも言うべくネット上で出会い、そして2017年に北京に滞在した時に実際に対面したのが、Edward Sanderson氏だった。彼は中国のみならず、日本にもよく訪れ、私が現在住む此花のスペースFIGYAにも何度も訪れている。実践者とコミュニケーションを取りながら、フィールドワークを欠かさない姿勢に頭が下がる。
 今回、Edward氏から関西に訪れるとの連絡を直接もらい、「それでは、一度じっくり研究している内容などについて話を聞きたい、インタビューを普段する側だろうけれど、こちらからインタビューさせてほしい」と申し出た。また、せっかくインタビューを行なうなら、FIGYA運営者であるアーティストの2人(mizutama、中田粥)や他に興味を持つ人にもEdward氏へ直接質問する機会を設けられればと思い、公開インタビューという形をとった。
 これから数年、中国の地下音楽に絞って調べ書いていくことを決心した私にとって、とても有意義な情報交換であったし、また、自身が中国地下音楽のどの点に惹かれているのか、Edward氏の意見を聞くことでより明白になった。Edward氏には感謝するとともに、また、これまでなかなかまとめきれなかった中国地下音楽情報および変遷史について、執筆を開始する覚悟を決める機会となった。
(テキスト:山本佳奈子)

 

※文中に登場する中国語名を持つアーティストに関しては、そのアーティストが現在拠点とする地域で使用されている漢字名で表記し()内に中国式ピンインを表記した。2回目以降はピンイン表記を省略した。

※Edward氏によりexperimental musicおよびsound artと呼ばれた事象は、本記事中において「実験音楽」および「サウンドアート」と訳した。

 

インタビュー日時:2019年12月10日、19:30〜21:30頃
場所:FIGYA https://www.facebook.com/baikaFIGYA/ https://twitter.com/figya1

インタビュアー:山本佳奈子(Offshore)
インタビュイー:Edward Sanderson


FIGYA運営者でありアーティストのmizutamaも質問者として登場する。
他、来場者からの質問においては「来場者」と表記した部分と、構成によりインタビュイーの発言に回答を組み込んだ箇所がある。


 

特殊な中国音楽史(改革開放以降)、打口世代の音楽の聴き方

 

山本:Edwardさんは、中国のサウンドアートと実験音楽を主に研究されていて、キュレーターでもあるそうですね。

 

Edward:はい、サウンドアートや実験音楽のショウケースをキュレーションしました。研究者としては、今は香港浸会大学で博士課程に在籍しています。

 

山本:研究内容について、簡単に聴かせてもらえますか?

 

Edward:はい。私たちはここで”サウンドアート”や”実験音楽”について話すことになりますが、サウンドアートとは何か、実験音楽とは何か、を考えると、これらはとても複雑な主題です。実は私の研究とは、中国における”サウンドアート”や”実験音楽”、それぞれの実践とは何か、明白にしていくことです。これは大きな問いです。ある人が「サウンドアート」と呼ぶことを、ある人は「実験音楽」と呼んだりする。これはとてもグレーな部分です。

 

山本:私は、たまに(それが即興的手法であれば)ただ「即興」と呼んだりすることもあります。

 

Edward:私にとっては、インプロヴィゼーションというのは即興という概念を深く理解した上での実践方法なので、また違った特別な言葉です。しかし中国では、もっと複雑なのです。ほとんどのアーティストが、自分が実践していることはいったい何なのかを自分で認識していて、他人に「この人は実験音楽をやっている」「この人はサウンドアートをやっている」と指定されることをあまり好まない。

 

山本:それは日本の多くのアーティストもそうだと思います。

 

Edward:はい、言わばすべてのアーティストがそうでしょう。実験音楽だ、サウンドアートだ、という分野の違いは、他人が勝手にカテゴライズしていくものです。これらの名称カテゴリに放り込むことは、「その人物がどういったアーティストなのか」理解してもらうには役立つかもしれませんが、それと同時に、役立たないことでもある。これは、名称をつけてしまう行為による普遍的な問題です。そういうわけで、私の研究の一部は、こういった中国のアーティストたちをどう名称すればより良いのか考えることでもありますし、誰がどのようなことをやっているかカテゴライズしてしまわずに個々の識別をしていくことでもあります。
そして、私は中国大陸の実験音楽、サウンドアートを注視していますが、中国は非常に特別です。歴史的にも社会的にも非常に特殊な環境で、香港とも違った発展を遂げていますし、日本とはかなり違う。他のアジア地域ともまったく違います。もちろん、ヨーロッパやアメリカとも全然違います。もしヨーロッパやアメリカのサウンドアートや音における実践について語るとすれば、100〜150年の動きを見ることとなりますが、中国の場合は長くて40年間ぐらい。その誕生から現在まで、とても短い歴史なのです。

 

写真:Miho Shimizu

 

山本:今は中国大陸だけについて研究していますか?香港や台湾では?

 

Edward:基本的にどの地域のサウンドアートについても興味があります。しかし、博士課程については中国大陸のみに絞っていますね。当初のプロポーザルでは、研究対象地域を「中国と香港」と書いていました。香港はイギリス領の時代もあり特別な歴史を持っていますから、中国大陸と香港のサウンドアートや実験音楽における比較研究を考えていました。しかしこれは、大きすぎる課題だということに気づいたんです。問いがあまりに大きすぎる。それで教授と相談し、まずは中国大陸に集中することを決めました。しかし、今は香港に住んでいますし、香港でどのような実験音楽、サウンドアートが繰り広げられているかも、興味を持って見ています。どのような人たちが香港にいるのかも、よく知っています。

 

山本:私も今中国大陸にフォーカスしています。「中国語圏の音楽」と括れば、それはシンガポールやマレーシアも含まれてしまう。これは大きすぎて今の自分には手に負えないと思いました。福州に留学して中国語普通話を学んだ後に、今は中国に集中することに決めました。それがひと段落したら、また中国大陸以外のアジア、シンガポールやバンコクなど東南アジアも含めて再度調査を始めようと思っています。

 

Edward:東南アジアも東アジアも、国を超えてネットワークがありますよね。私の研究テーマは「サウンドアートとは何か」「実験音楽とは何か」ということであると先ほど話しましたが、ここには地質学的な問いも含まれています。サウンドアートや実験音楽の存在する限界地点はどこか。というのは、中国は1967年から1978年まで、海外の文化が禁じられ閉鎖されている状況でした。1967年からの11年間は文化大革命があり、その後1978年に改革開放となり海外のものが流入してくる。この流れが、他国にはない非常に興味深い歴史だと思います。1978年以前はとても厳しく海外文化が禁じられていたのに、1978年以降、急に海外音楽が入ってくるんです。当時、まず最初に海外から中国へ流入したものがロックンロールです。「自由」を表現する文化として、初めて中国にロック音楽が入ってきたのです。その後1989年に天安門事件が起こりますが、ロックは活動参加者同志の連帯を強めるためにも演奏されました。そして、学生運動が抑圧された1990年以降はアンダーグラウンドでロックが勃興し、より実験的な音楽も生まれ始めます。1993年頃には、中国で初めてアンダーグラウンドなオルタナティヴ・ロックバンドが生まれたと言われています。この頃が、真の意味で”実験音楽的なもの”が、最初に現れた時期だと言えます。

それから2000年代初頭へ、インターネットの登場までゆっくりゆっくり実験音楽は発展を続けていきます。インターネットが登場するとより多数に共有できるようになりアクセスしやすくなり、電子音楽も誕生し発展し、音楽制作におけるソフトウェアやハードウェアも充実していきます。そして、現在に見られるサウンドアートや実験音楽も生まれていきます。

 

山本:なるほど。”打口”(dakou)の時代って中国音楽史のなかでいつ頃にあたるのか、覚えてますか?

 

Edward:文化大革命ののち改革開放があり、それから輸入がある程度自由になってからですね。2008年頃まで”打口”の輸入は続いていたそうです。

 

山本:私もまだまだ打口について知らないことが多く、次北京に行く時、取材の課題にしたいと思っています。

 

Edward:颜峻も打口について執筆しています。これはとても面白い事象で、多くのアーティストに影響を与えています。打口とは、CDやカセットテープに穴をあけているもののことを指し、これはアメリカ合衆国やヨーロッパ各国からのプラスチック廃棄物なんですね。それを、リサイクル品として売り、中国が買っていた。

 

山本:そこにアナログレコードは含まれていた?

 

Edward:プラスチック品のリサイクルが目的だったので、レコードはほとんどないはずです。中国への送料が安かったことが理由で、アメリカ合衆国やヨーロッパから生産過多で余ったCDやカセットテープが届きました。すべてのCDやカセットテープは、再利用されないために小さなパンチ穴をあけて中国へ輸出されたのです。

 

山本:しかしこれが、まだ聴ける状態なんですよね。

 

Edward:そう。ポイントは、まだ聴ける状態であると言うことなんです。少し穴があいた状態であったとしても、2曲ぐらい聴けないだけで、残りは聴ける。あまり酷く穴が開けられた状態でなければ大抵、まだ聴けるんです。私が現地で知ったことのなかで、打口はとても影響の大きいことなんです。アメリカ合衆国やヨーロッパからのCD・カセットテープ廃棄物のなかには、マドンナからプリンス、マイケル・ジャクソン、すべてのアーティストがランダムに入っていたのです。マドンナとはどういう人でどういうバックグラウンドがあってどういった経歴があって、という情報は一切添えられず、中国のリスナーに届けられたのです。ただの音楽、ただのサウンドとして。この打口CDや打口カセットのなかには、ソニックユースなども含まれていて、中国アンダーグラウンドシーンに大きな影響を与えたと思われます。重要な点は、打口の箱のなかでは、すべての音楽が同じレベルで並べられたこと。ジャンル分けなんてありません。そして、リサイクルセンターに運ばれる前の欧米産打口CDや打口カセットテープ、つまり廃棄物を詰めて、販売する人が現れ始めました。彼らは大きなバッグに打口を詰めて、友人宅などに訪問して販売します。買う人は、大きなバッグの中から自ら選び購入します。打口売りは、毎週違った品を持って現れるのです。これが、中国で欧米の音楽が聴かれるようになり、知識が広まっていった初めてのルートなのです。

 

山本:それが主に1990年代〜2000年代でしょうか。

 

Edward:もう少し早く、海外からの輸入が始まった改革開放以降、80年代から90年代が最盛期でした。2000年以降にはインターネットが使用できるようになり、インターネット上でのファイル共有やmp3での音楽聴取ができるようになります。打口時代の中国の人たちは、それぞれの音楽の背景や情報が失われた状態で、すべての音楽を単なる「音」として並列化して聴いていたということなんです。

 

山本:それって、音楽ファンにとって、とても幸せなことではないですか?

 

Edward:そうですね。

 

mizutama:打口のCDやカセットを聴いていた世代は今何歳ぐらいの人ですか?

 

Edward:颜峻(Yan Jun)(※1)はまさに、打口の世代ですね。だいたい現在40〜50代ぐらいの人です。

 

山本:インターネットが使えるようになる2000年頃以降、中国の人たちは音楽の聴き方が変わりましたか?

 

Edward:はい、同時にウィキペディアで海外の音楽のバックグラウンドを知ることができるようになりましたし、この時点で音楽の情報が氾濫するようになりました。
颜峻の話もしておきましょう。彼は中国の実験音楽におけるゴッドファーザーとも言える人で、元々は音楽ジャーナリストですが、現在は詩人でもある。出身地は蘭州で、北京に現在住んでいます。彼は1990年代初頭に蘭州でロック音楽について執筆を始め、ロックバンドのライブのオーガナイズも始めました。そして北京に引っ越して以降、中国、海外問わずあらゆる実験音楽家のリリースやディストリビューション、プロモーション等を始めます。彼のレーベルは撒把芥末(SUBJAM)という名前で、中国の実験音楽で一番重要なレーベルです。ここ数年は活発ではないですが、2000年代初頭から数年前まで、頻繁にリリースしていました。またオーガナイズも多数行なっており、こちらもここ数年はより静かなショウケースになっていますが、今も活動し続けています。彼は今も執筆を続けていて、イギリスで出版されている雑誌『The Wire』にも定期的に寄稿しています。過去、中国ではロックの批評家として有名でした。颜峻は中国の実験音楽やサウンドアートのシーンのなかでもっとも真剣に活動を行なっている存在と言えるでしょう。彼自身、自分が何をやっているのか、明快に考えを持っています。

 

山本:そして、とてもシンプルですよね。

 

Edward:はい。彼は、ミニマルやサイレンスなど、こういったコンセプチュアルな音現象にとても熱心です。ほとんど何も起こらないような、ある種難解なパフォーマンスを行います。可聴範囲の限界を広げるような彼のパフォーマンスは、観客にとってとても理解しづらいものであったり、反感を買ったりします。そして彼は、そういった観客のことも含めてパフォーマンスに巻き込ませるのです。

 

※1:颜峻(Yan Jun)へのOffshoreでのインタビューはここで読める。当記事前半の「サウンドアート」や「実験音楽」についての呼称にもつながる論点が含まれており、ぜひあらためて読んでいただきたい。
Yan Junの過去と変化:Yan Junインタビュー https://offshore-mcc.net/interview/492/
また、Edward氏が自身のサイトで収録した颜峻へのインタビューでは、打口時代からインターネット時代、そして日本の実験音楽やサウンドアートの流入について語られている。
Sound Transmission from Japan to China in the Early 2000s https://blog.escdotdot.com/2017/11/07/sound-transmission-from-japan-to-china-in-the-early-2000s/

 

DIYで動く実践者 – 中国の実験音楽・サウンドアートの面白さ

 

山本:なるほど。少し話を変えて。中国のこういった音楽にどうして興味を持ち始めたのですか?

 

Edward:ああ、これは私のライフストーリーですね(笑)。

 

山本:いや、もし話していいのであれば、ということで。

 

Edward:はい、要約して話しましょう。私はロンドン出身で……、いや、でも人生の最初に戻りすぎても仕方ないか(笑)。私は美術史を学び修士号をゴールドスミス大学で取ったのですが、在学時代に同じコースにいた中国出身の妻と出会い、のちに結婚しました。彼女もアート業界で活動しているのですが、サウンドアートではなく現代美術、特にヴィジュアルアートの分野にいます。私たちは北京に住んでいた頃、北京でコマーシャルギャラリーを約一年半、運営していたこともあるんです。

 

山本:えー!そうなんですか。何という名前のギャラリーだったんですか?

 

Edward:『CPU:798』という名前で、798芸術区の中にありました。798芸術区はとても有名で、現代美術のメジャーなアート地区です。私たちのギャラリーではニューメディア、写真、インスタレーション作品などを販売しました。ギャラリーは一年半ほどでクローズしましたが、私はヴィジュアルアートよりもよりサウンドアートに興味があったので、のちに、コンサートのオーガナイズもするようになりました。自分でコマーシャルギャラリーを運営するという経験が、結局コマーシャルアートと自分の距離を遠ざけたという感じでしたね(笑)。特に中国においては、この業界は非常に商業的です。もちろん全世界で共通して商業的なのがコマーシャルアートなのですが……。限界を感じました。そんなときに、中国で、私が興味を持っていたサウンドアートや実験音楽周辺の人たちと出会っていくと、彼らの活動が非常に面白いことに気づいたのです。彼らは限界を押し広げていくことに挑戦していたし、当時見ていたビジュアルアートの世界にはなかった動きをしていたのです。それから私は、何か挑戦をしている人たちと仕事をしようと思うようになりました。中国の彼らのやり方や考え方を学ぶようになり、批評を書くことを始めました。雑誌やウェブマガジンなど、仕事として依頼があればどこにでも書きました。しかし、フリーランスはとても厳しい。修士号だけでなく博士号も取るべきだと思いましたし、実際多くの研究者が博士号まで取得し研究を深めています。そして現在は、博士課程で研究しています。博士課程に入る数年前から、北京でサウンドアートの展示を企画していましたし、このサウンドアートや実験音楽の分野において知識を持っていました。中国でこれらの分野にいる人から信頼を得ることができていましたし、十分な研究ができると思いました。

 

山本:北京のどこで展示を企画したのですか?

 

Edward:北京中间美术馆(Beijing Inside-Out Art Museum)という場所です。北京の西側、中心地から離れたところにあります。ここのディレクターを古くからよく知っていて、彼女も中国現代美術の研究者でありライターです。この場所での企画をきっかけに、雑誌社から中国のサウンドアートについて執筆依頼をもらいましたし、それぞれ小さな機会でしたが、とても大事な経験でした。この頃、もっと真剣に研究し、博士号を取得しようと思ったのです。

中国のアートは、一部制限があります。中国は完全に自由ではない。この難しい状況が、中国のサウンドアートや実験音楽を興味深いものにしているとは思います。中国のサウンドアーティストや実験音楽家がクリティカルになることや、何かをやるためにどのような方法があるか可能性を探ることが面白いと思いました。ヴィジュアルアートにおいては、ギャラリーのシステムにどうしても囚われてしまうし、限界を感じました。サウンドというもの自体は、どうしてもアート作品として売りづらい。しかしサウンドを用いたアートというものは、社会において問いを投げかけ、可能性を広げる。何がサウンドなのか、どうやってその音が現れるのか、どこから現れるのか。サウンドを聴くこと、サウンドを体験すること、また、サウンドという現象。これらはいったい何なのか。
中国のアート界では、サウンドアートはあまり理解されていないし、あまりアート界の話題に登場しません。ですから、実践者たちは多くの場合、DIYで動くのです。ここFIGYAと同じように。fRUITYSPACEもそうですし、颜峻のスタジオ(※2)もそうですし、フォーマルではなく、制度化されていない、より自発的な場所です。しかしネガティブに捉えると、発展は遠いし多くの人々に支持を得ることもありません。日本やアメリカ合衆国、ヨーロッパでは、こういった会場の運営にかかることは制度化されシステムが確立しています。中国に住んで観察していると、ギャラリーというシステムを持っているヴィジュアルアート界隈のアーティストよりも、サウンドアートや実験音楽界隈の人たちのほうが、限界を超えていくことを、より上手くやっていると思えるのです。私の個人的意見ではありますが。中国には実験音楽やサウンドアート界隈にたくさんの人がいるわけではありません。すごく小さいコミュニティで、これだけ大きな中国でもそのほとんどが北京と上海に集中しています。そしていくらか少数の人が深圳や広州で活動していて、さらに少数の人が、ドットのように中国各地に散らばっている。ですので、都市部で彼らの多くに会うことができるのでとても便利ではあります。

 

※2:fRUITYSPACEについては次の段落で紹介。颜峻のスタジオは、普段は非公開の個人用スタジオで、1〜2ヶ月に一度、コンサート会場として開放している。一般のマンション内にある部屋。コンサート情報を見てメール予約した者のみに、住所が教えられる。ようすについてはOffshore内でのこちらのコラムに少し記述している。
北京にて -生活と音楽- https://offshore-mcc.net/column/748/

 

 

北京の事例紹介 – 新しい活動の場所や方法を見つけさせられる状況


山本:ここで、中国の実験音楽家、サウンドアーティストたちがどのように面白いDIYのコンサートをやっているか、紹介しませんか?例えば颜峻の北京客厅巡演(Living Room Tour Beijing
)や、地下道でのコンサートもありますよね。まず、スペースとしてはfRUITYSPACEがありますね。

 

Edward:fRUITYSPACEは実験音楽を演奏する場所として今、北京で一番知られている場所だと思います。オーナーは翟瑞欣(Zhai Ruixin)(※3)。彼も実験音楽家です。まず彼は最初にレコードショップを北京で始めました。今は彼と一緒にレコードショップを始めた人が主にレコードショップをやっていて、翟瑞欣はそちらを離れ、今fRUITYSPACEに集中しています。ここはとてもいい場所で、レストランの地下に位置しています。ちょうどFIGYAの1Fスペースの2〜3倍のサイズです。その中にバーがあり、小さな物販の部屋もあって、そこではCDやカセット、Tシャツ、音響機材なんかも売られています。音楽に関わるものが売られていますね。そして小さなギャラリースペースもあって、絵画や写真が展示されます。これらを買っていくのはミュージシャンが多いそうです。また、ここでは実験音楽に限らず、多分野のイベントが開催されます。スタンドアップコメディの日もあれば、hiphopもあり、映画上映会やトークもあります。オーナーの翟瑞欣は、全体として実験的なプログラムが集まるように努力しています。
朱文博(Zhu Wenbo)は、実験音楽においてまた一人の中国におけるキーパーソンで、颜峻の次の世代にあたります。彼は自身が運営に関わっていたライブハウスで長い間『燥眠夜(Zoomin’ Night)』というシリーズイベントを開催していたのですが、そのライブハウスがなくなって、今はfRUITYSPACEでよくイベントを開催しています。また、彼のレーベルは同じく『燥眠夜(Zoomin’ Night)』という名前で、カセットテープとデジタルで頻繁にリリースしています。私のフィールドレコーディングの音源をリリースしてくれたのも彼のレーベルです。彼のレーベルの作品の多くは即興演奏の作品ですが、中にはコンセプチュアルなサウンド作品やフィールドレコーディング作品などが含まれています。

 

※3:me:moこと翟瑞欣へのOffshoreでのインタビューはこちら。当時はfRUITYSPACEはもちろん、fRUITY SHOPもまだ存在しなかった。
“あの頃の北京を描くように音楽を作っています” me:moインタビュー https://offshore-mcc.net/interview/304/

 


燥眠夜bandcamp https://zoominnight.bandcamp.com/

 

燥眠夜レーベルよりリリースされた、Edward Sandersonによるフィールドレコーディング(上記リンク)

 

山本:『燥眠夜』は、兵马司(Maybe Mars)(※4)が経営していたライブハウス小萍(xp)で毎週開催していたイベントでしたよね。北京の多くのヴェニューがなくなりました。理由の一部は検閲もあるだろうし、単に経営難の問題もあります。

 

※4 兵马司(Maybe Mars)は中国のインディーロックレーベル。パンクやオルタナティヴロックやサイケデリックを得意とする。オーナーはアメリカ出身のMichael Pettis。2006年から2012年まで北京大学のそばに位置しインディロックシーンの中心となったライブハウスD-22を経営し、D-22の閉店以降は2015年までライブハウス小萍(xp)を経営した。

 


Edward:中国の一般的な問題として、変だと言われるものは「メインストリームでないもの」や「奨励されないもの」。中国の音楽ヴェニューはそれぞれが問題を抱えています。例えばfRUITYSPACEは、上階のレストランから苦情が出たことがあるため、音がうるさいイベントは控えています。警察は特にfRUITYSPACEを気にかけていませんが、住民からもし苦情があれば、何か対処しなければなりません。北京の小さなスペースやショップが閉店に追い込まれることはよくあって、それは音楽の場所に限ったことではありません。また、特に海外アーティストを呼ぶと狙われやすいということもあります。

 

山本:日本のアーティストを呼ぶと特に……。

 

Edward:それもそう(苦笑)。ただそれはまた別の問題でもありますね。今の中国と日本の関係はそんなに悪くないので大丈夫だと思いますが、もしまた関係が悪化すれば、日本のアーティストは必ず許可を得なければパフォーマンスできなくなるでしょう。そして中国側では非公式な形でのイベントでしか日本のアーティストを招待できなくなる。

 

山本:そう、関係が悪い時には、警察や政府に見つからないようにウェブサイトには公表せずに、WeChatのメッセージだけで友達に回して告知したりもするんですよね。

 

Edward:そう。気をつけなければいけません。政府の状況によって様々な違った問題が起こります。しかし、問題が常にある状態が、中国の空気でもあります。これが中国で場所を運営する難しさで、警察にも、近隣の地元民にも、常に気をつけておかなければならないのです。また、サウンドアートや実験音楽のパフォーマンスや公演というのは、メインストリームのものではありません。メインストリームの普通の音楽ライブなら問題ないですが、内容がアンダーグラウンドで、しかも認可されていないヴェニューでは、多くの人が集まること自体が問題です。たった10人だったとしても、集会をしていることは問題。なので、ヴェニューを運営している者は、動員人数も気にしておかなければならない。これらは全世界で見聞きする問題なのですが、中国ではより深刻だと思います。

 

来場者:10人というのは法律で決まっていますか?

 

Edward:いえ、10人というのは例えです。実際、何人以上だと違反になるか。中国のルールは明確ではないので、わかりません。人が多く集まる場合は、気をつけていなければいけません。
中国は、外から見るとあまり何も起こっていないように見えたりするのですが、それは、中国のなかにいる皆が「なるべく気をつけなければいけない」状況にあるからです。もし結果的に問題にならなかった、問題にならないようなことであったとしても、(アーティストたちが自らの活動を)「ちょっとやめておこう」となることはあります。この中国の、ある種の”感じ”。これが中国で何かをやるときの障壁なんです。頭の中で「これをやっちゃうと警察に送られてしまうかどうか」考えざるを得ない。私が思うに、行動の前に、こう考えざるを得なくなっしまうこと自体が本当の恐怖で問題です。もちろん、世界じゅう、日本でもこういった制限はありますが、中国はより深刻です。中国の状況は、もろいのです。お店やイベントが永遠に続くことなんてないですし、いつでも止められる可能性があり、不安定です。もちろん長く続けられる状況の方がいいわけですが、何かが始まっても、何かが起これば止められてしまいます。そういった状況が、それぞれの中国の実験音楽家やサウンドアーティストたちに、新しい活動の場所や方法を見つけさせているわけでもあります。


山本:颜峻に、「なぜ客厅巡演(Living Room Tour
)」シリーズを思いついたのか聞いてみたら、「北京にいいヴェニューがなかったから」と言っていました。

 

Edward:そうです。颜峻は確かに客厅巡演というシリーズのコンサートを企画していて、これは、人の家でコンサートを行うというものです。

 

山本:自分の家でやってもらいたい人が、アーティストたちを家に招待する感じですね。

 

Edward:颜峻のウェブサイトで日時のみが公開されるので、お客さんとして行きたい人は彼にメールをして、当日の住所を教えてもらうという形です。最大でもお客さんの数は15名ぐらいが限界になりますね。ときには颜峻が海外からのゲストも巻き込んだりして、北京の一般の人の家でコンサートをします。彼は、パフォーマンスするアーティストが普段使う楽器や機材でなく、その家にあるものやキッチンのものを利用してパフォーマンスすることにも期待しています。

 

山本:そう、だから颜峻はもし家のオーナーが「それ使わないで」とか言ったら気を損ねるんですよね(笑)。

 

Edward:そうですね、「家を使ってパフォーマンスすることを許すなら、家のものも使わせてくれるべきだ」って。

 

 

 

山本:このコンサートには行きました?これたぶん一番最近のものだと思うんです。


Edward:いや、行けなかったんです。これはプリンタを利用して、観客全員の手をスキャンして、プリントして、最後はシュレッダーにかける、っていうものだったんじゃないかな。このときには他にもいくらかのアーティストがパフォーマンスして、一人、阿科という女性のアーティストは、自分のパフォーマンス中にシャワーを浴びました。観客はみんな彼女がシャワーを浴びているサウンドを聴きました。サウンドを用いてはいますが、サウンドの要素だけではないパフォーマンスです。彼女は今非常にアクティブに活動しています。颜峻は、サウンドを中心に据えた企画をしますが、そこにはサウンドだけではないたくさんの種の体験が盛り込まれている、というのがポイントです。そういうわけで、客厅巡演(Living Room Tour)シリーズは、ヴェニューやスペースに頼らないコンサートシリーズです。(※5)

 

※5 颜峻によるThe Wireでの最新の連載コラムでは、”System down!”と題して客厅巡演(Living Room Tour)最新回についてのレポートを紹介しつつ、システムに囚われてしまうことの馬鹿馬鹿しさを論じている。 https://www.thewire.co.uk/in-writing/columns/system-down-by-yan-jun

 

 

Edward:地下道でのコンサートは、最初は燥眠夜の朱文博が始めました。彼はライブハウス小萍(xp)で週に一度イベントを行っていましたが、小萍がなくなってから、地下道を使うことを決めました。この地下道は北京国際空港に向かう高速道路の下を通る歩道なのですが、さほどたくさんの人通りがあるわけではありません。彼らはアンプや楽器をここに持ち込み、様々なアーティストが参加しました。

 

山本:この地下道のコンサートを見たことがあります?

 

Edward:はい、何度か見に行っています。だいたい夜11時ごろから開催するのですが、一般の人も通る地下道です。たまたまここを通った知らない人は「何やってんだ?」という感じで通り過ぎていきますし、面白い環境です。もし警察が来たら楽器と機材をすぐに片付けて退散できるように、簡単なセットでやっています。

 

山本:最近、この地下道はよく王子衡(Wang Ziheng)が使っているらしいですよね?

 

Edward:では王子衡の話をしましょう。彼はこれまで登場したアーティストに比べると、より即興的です。

 

山本:そして、ノイズにも近いですよね。

 

Edward:はい。ノイズで、フリー・インプロヴィゼーションですね。彼も今、同じ地下道を利用してコンサートを時々オーガナイズします。彼がオーガナイズするコンサートも、やはり、よりノイズに、よりフリー・インプロヴィゼーションに近くなります。また、彼は今フェスティバルもオーガナイズしています。『荒音祭(Nowhere Festival)』というフェスです。

 

山本:万里の長城の近くでやってますよね。

 


 

Edward:はい、北京の北西、山の中に一つ建物があって、その脇でやっています。3年前から毎年一度開催しています。

 

山本:毎年8月にやってますよね。以前に日本からASTROも出演していたようです。

 

Edward:回を重ねてより企画がしっかりしてきています。彼らは大音量のノイズ系のパフォーマンスをするのですが、北京郊外の自然の中で開催されるフェスティバルです。都市で開催するときのように騒音の問題を気にする必要がありません。

 

山本:王子衡は、以前北京にあった、SOSという名前のやばいバーを経営していた人でもありますよね。SOSはもう閉店したけれど、今、また新しいバーをやっているようですね。

 

Edward:そうです。私もまだ写真で見ただけで足を運べてはいないのですが、北京の胡同のなかにあるそうです。

 

mizutama:このフェスティバル『荒音祭』は、どうやって運営しているんですか?お金の面で。

 

Edward:チケット収入です。他にあるとすれば、寄付などでしょう。このフェスティバルは公に許可を取って開催できるものではないと思いますし、また、王子衡としても公に許可を取るようなイベントをオーガナイズすることに興味を持っているとは思えません。(※6)これは実践者からの視点ですが、大使館や団体、基金などと協働することは自由を失うことでもあります。彼は過激なやり方を好む人間ですし、そういった協働のために自由を捨てることはしないでしょう。

 

※6 中国では营业性演出管理条例が定められており、次のいずれかに当てはまる場合は营业性演出许可证を得なければいけない、とされている。チケットを販売するイベント/協賛や助成を受けるイベント/出演した個人やグループが報酬を受けるイベント/媒体においてプロモーションされるイベント/営利方式のイベント

 

山本:Edwardさんは王子衡や他のノイズミュージシャンらとも親交していますか?

 

Edward:はい。この10年〜15年ぐらい、中国のノイズは他の実験音楽やサウンドアートのシーンとは分かれてグループ化しています。ひとつは、NOJIJIです。

 

山本:NOJIJIはレーベルでもありますよね。

 

Edward:はい、リリースもしていますが、コミューンのようなものでもあり、北京で共同生活をしていました。彼らのサウンドはサイケデリック・ロックからフリー・インプロヴィゼーション、そしてとても激しいパフォーマンスをします。彼らが最後に共同生活をしていたビルは、すごい景観で、廃墟のようで、脇に魚が住むプールがあったんです。釣りもできたようです。

 

山本:それは食べるための?

 

Edward:食べることもできたみたいですよ。

 

山本:北京のサウンドアート、ノイズや実験音楽のシーンも最近グループ化していることが私は気になってて、颜峻や朱文博らによる比較的静かなパフォーマンスの人たちと、あと、先ほどの王子衡のような爆音系ノイズの人たち、そしてNOJIJIの人たちも。私がまだ颜峻や朱文博のグループとしか接点があまりないので、今後どう調査していくか考えていこうと思っていたところです。

 

mizutama:それぞれのグループに接点はある?

 

山本:あります。それぞれのグループから、別のグループのショウに出たりすることはあります。

 

Edward:今、NOJIJIのメンバーたちはノマディックグループと自称しています。その後、そのビルを退去してからは、拠点を持たずにやっています。うちの一人は上海に住み、一人は中国の東北地方に住み、数名は北京に住んでいます。普段は散らばっていますが、何かプロジェクトをやるときには集合する、という形です。彼らの動きに関しては、浙江大学の准教授である王婧(Adel-Wang Jing)が詳しく書いています。彼らの動きは非常にユニークです。彼らの今の問題は、スピーカーを壊してしまうという評判が立ってしまい、あまり彼らをイベントに招く人がいないということらしいです。

 

山本:まだNOJIJIのメンバーに私は会ったことがないのです。

 

Edward:梅志勇(Mei Zhiyong)や、AZOIKこと李杨漾(Li Yangyang)、上海在住のAmingや盛迪(Sheng Dee)などがメンバーです。先ほど話した『荒音祭』には彼らも出ていました。『荒音祭』は、NOJIJIのように激しいノイズから、静かなサウンドアートまで、あらゆる実験的な音楽を集めたフェスティバルです。

 

mizutama:昔FIGYAに来た、鉄を叩いて演奏する人が『荒音祭』の映像に出てたかもしれない。

 

Edward:たぶんそれは梅志勇でしょう。

 

山本:彼は日本にもよく来ていましたよね。

 

Edward:彼は今は山東省に住んでいるはずですが、NOJIJIのメンバーです。数ヶ月前にはスイスでパフォーマンスしていて、その旅の途中に香港にも来ていました。

 

 


山本:Edwardさんはいつごろから中国の実験音楽やサウンドアートの研究をしているんですか?

 

Edward:私が中国に来たのは2007年で、その頃、北京にギャラリーをオープンしました。その時からなので、ほぼ12年間ですね。それ以前は、文字通りまったく何も知りませんでした。中国語もまったくわからなかったし、中国の一般的な情報も知らなかった。

 

山本:私は、Edwardさんが今世界で一番、中国のアンダーグラウンド音楽を知っている人だと思います。

 

Edward:(頰に手を当てて照れた表情)

 

会場笑

 

Edward:そう言われると怖いですが(笑)、他にも中国の音楽について書いている人がいます。一人はJosh Feola。彼は颜峻やノイズ、実験音楽についても少し書いていますが、よりインディーロックに近い中国の音楽を、コンスタントに書いています。

 

山本:Joshはアメリカ出身で、音楽ライターですよね。

 

Edward:はい、彼と私は同時期に中国に来ました。今はRadii Chinaというウェブサイト(※7)で執筆と編集を担当していて、彼はコンスタントに中国の音楽シーン、特にインディーやロックについて書いています。また、浙江大学に在籍している准教授の王婧(Adel-Wang Jing)。彼女は先ほどNOJIJIの話の最中に紹介しましたが、彼女は学術界で中国のインディペンデントな音楽や実験音楽について論文を書き活躍しています。また、台湾出身の姚大钧(Yao Dajuin)は、今、杭州の中国美術学院で教えています。彼は台湾に住んでいた90年代にラジオ放送をしていて、そこでアメリカやヨーロッパのニューミュージックを紹介していたんです。John Zornや実験音楽、あらゆる音楽が放送され、それを中国語圏の多くのアーティストが聴いて影響を受けました。彼はとても有名です。また、彼は昔、中国で中国人が出演するサウンドアートのイベントを企画しました。ただ当時はサウンドアートだけではなく、インスタレーションからビデオアート、ロックからパフォーマンス、すべてのサウンドに関わるアートが集められたそうです。今も彼はたまにオーガナイズをしたりしますよ。昨年は北京で企画していました。彼は中国でサウンドアートにおけるキュレーターとして、非常に大きな功績を残しています。

 

※7 Radii China・・・中国から英語で発信されるウェブメディア。特集記事や取材記事が非常に面白く丁寧で、中国に長年住んだ者の視点で書かれている。中国インディーロックからHIPHOP、サブカルチャー、アートまで、様々なジャンルの記事が掲載されている。 https://radiichina.com/

 


山本:そろそろ時間です。今日は本当に良い話が聞けました。ありがとうございました。いつも中国の面白そうなライブ情報や音楽情報をFacebookで知らせてくれるから助かっているんですよ。

 

Edward:今日はありがとうございました。少し話しすぎたかもしれませんが(笑)。海外まで情報を届けるには時に限界がありますが、私は中国に長く住んでいましたし、知り得た情報は他の人にパスしていく、ということを心がけてやっています。中国の情報は中国語で書かれますし、インターネットの状況も違うからなかなか難しいことではありますが。

 

山本:尊敬します。日本ではいまだに中国の音楽情報を調べている人はなかなかおらず、アンダーグラウンド音楽について書いているのは、私ぐらいかもしれません。しかし私も、まだ記事を多く書けていませんし、これからもっと書かなければと思っています。

 

Edward:Offshoreには中国のアーティストのインタビューがありますよね。よりアーティストの考えに深く入り込んでいくような内容だと思います。私はまず博士号を取らなければならないのでそれぞれのアーティストにインタビューをとる時間はなかなか取れないのですよ。あと、中国で音楽の情報を得るには、言語の壁もありますね。私も中国語はある程度理解しますが中国語でインタビューできるほどではありません。アーティストと同じ言語で話せないということは障壁でもあります。

 

山本:そう、中国には英語を話さない音楽家やアーティストもいます。英語では多くを話さないアーティストらに、私もいつかインタビューできればと思い中国語を勉強しています。


 

Edward Sanderson プロフィール:
Edward Sanderson is a freelance art critic and editor, living and working between Japan, Hong Kong and China. His writing focuses on contemporary art in the Asian context, focusing on alternative cultural practices, independent art groups and sound in art.

https://blog.escdotdot.com/

 

冒頭テキスト・インタビュー構成:山本佳奈子

写真提供(※表記のないもの):中田粥